「約束された聖霊を注がれて」

2024年5月19日礼拝説教梗概

聖書:使徒の働き 2章1~42節

説教:安藤啓子牧師

 

 

 

 本日はペテロの説教を中心に、約束された聖霊が注がれて満たされた時、何が起こったのかを見てく。イエス様は、使徒たちと一緒にいるとき、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」と命じられていた。五旬節の日になって皆が同じ場所に集まっていた時、彼らの上に聖霊が降った。その様は、人間の視覚にも聴覚にも、現実に響き渡るほどの確実な事柄だった。今、確かに聖霊は下った。それは正しく「聖霊のバプテスマ」。

 聖霊に満たされたペテロが語る福音を聞いた時。自分たちが自分たちの救い主であるイエス様を十字架につけて殺したということが、心を刺し通した。その時、彼らの霊的な心と目が開かれて、初めて自分たちの罪に気づけた。

 そこで彼らの罪が赦されるにすることは、悔い改めてイエス・キリストの名によって洗礼を受けること。そうすれば罪は赦され、賜物として聖霊を受けるとの約束を告げるペテロ。悔い改めるとは、神様の方に向き直ること。

 本日の使徒の働き2章を通して、私たちは救われたとき賜物として既に聖霊を注がれていることと、聖霊に満たされている信仰の共同体だと確認できた。それを思う時、果たして今の自分は、そして教会は聖霊に満たされているのだろうかと。主の前に探って頂き、満たされることを願い求めていく者、群れでありたいと願わされた。またイエス様を証しするための助け主、聖霊が与えられていますが、私たちは、イエス様の証人となる働きを個人の働きのように捉えがちですが、そうではないことに気づけた。14節ではあのペテロも一人ではなく、他の11人と共に立つ。36節でも人々が、自分の罪に気づき、心刺され悔い改めた時、どうすればよいのかと尋ねたのは、ペテロとほかの使徒たちにでした。

 ペンテコステに始まったイエス様の証人としての働きは、共同体の働きとして始まった。共同体として聖霊が注がれ、満たされた。このように私達も一人一人が、教会として聖霊に満たされることをまず祈ろう。そして信仰の共同体として聖霊に満たされて、ペテロと使徒たちのように、イエス・キリストこそ真の救い主であると。いつでもどんな時でも証しする、証しできる群れとして用いられるようにと。互いに心合わせて祈ろう。

説教梗概

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