「試練にあう時は」

2022年1月23日礼拝説教梗概

聖書:ヤコブの手紙1章1~4節

説教:安藤啓子牧師

今日は4節までを取り上げ、キリスト者にとっての「試練」、「忍耐」をどのように受け留め、用いるのかを見ていきます。この手紙を書いたヤコブは、迫害下でユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた先でも彼らが、受けている迫害と苦難の中でクリスチャンとして生きることに疲れ、誘惑に陥って、苦しんでいるであろう彼らを励ますために送ったものです。そこには、クリスチャンがさまざまな信仰の試練に会う目的を、「忍耐を完全に働かせるなら、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となると」記されています。でも肝心の私たちは欠けがあり弱く、自分の力では忍耐することが出来ませんが大丈夫!私たちの内側におられる聖霊の力が、忍耐する力を与え、その忍耐を完全に働かせて下さる。試練を絶えた先にある確かな約束をここでヤコブは確認しているのです。「完全な者」とは、全く罪のない人になることではなく、成熟した者になり、神様に心から信頼し従う歩みをする人です。でも私たちは欠けがあり、弱さのある者ですから、試練が来た時に逃げたくなる、信仰を捨てたくなる誘惑に襲われます。試練が神様から引き離されそうになる誘惑に代わる時です。そのような神様から心が離れそうになる誘惑になりうる試練の時に、私たちはその試練に耐えるための忍耐を求めるのです。ヤコブは言います、試練の中にある時、忍耐の先には成長があるのだと。完全な者へと近づく成長があるのだと。試練に会うことで自分の弱さを認め、何に信頼したら一番幸せなのかを学べる。そして、神様に信頼し、問題の解決のために祈り、神様からの解決を得ようと、積極的に神のことばである聖書を開き始める。もっと神様に近づこうとする。神様の愛と力によって、私たちはこれらの一つ一つのことが出来る者に、変えられていくのです。そうすることで神様は、私たちを霊的に強くしてくださるのです。サタンは人を最悪に落とすために誘惑しますが、愛なる真の神様は人から最善を引き出すために試練を与えるのです。

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setachu
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