「求めなさい。そうすれば与えられます」

2021年11月14日礼拝説教梗概

聖書:マタイの福音書 7章7~11節

説教:安藤啓子牧師

今日の箇所は、山上の説教の中の一つ。この説教は、神様からの恵みにより神の子とされた者が、子として神様に似た者に変えられていく為の具体的な導き。一見厳しい要求の背後に、神様の愛とあわれみがある。ところで、お話を聞くために集まった群衆は、弟子たちもおり、主によって癒されるまでは、重い病気や痛みに苦しんでいた人たちなど。故にこれからどうやって生きていこうか、どうしたら生きて行けるのかが、一番の関心事であったのではないかと。その彼らに向かって「求めなさい。そうすれば与えられます。」とおっしゃる。ここでイエス様は、誰に対して何を求めるようにと言われるのか?天におられる神様に対して求めよと。神様は、私たちにとって良いもの、最も良いものとして「聖霊」を与えて下さる。聖霊は信じる者に宿り、救いをはじめ、あらゆる恵みをもたらし、ご自身のわざへと導く神様の霊。具体的には、聖霊は私たちに、信仰と希望と愛を、神様との親しい交わりも、何が正しいかという判断も知恵も、また私たちの互いの平和も生きる力も勇気も与えて下さる。聖霊は、自分が何をしていけば良いのかという将来の見通しもそして、祈りも与えて下さる。この聖霊を、イエス様は私たちに求めよとおっしゃる。それも、しつこいぐらい熱心に祈り求めていいのだと。私たちは主の勧める程に、熱心に祈り求めているだろうかとのチャレンジを頂いた。神様は、神の国と神の義を求めていれば、生きる上での私たちの一切の必要なものは与えて下さるとのお約束。それなのに、自分の欲しいものを下さいと願い、神様をコントロールするという誘惑に陥る危険を持つ私達。だから自分が求めているものが神様のみこころに適っているのか?与えられているものが、神様からのものかどうかを吟味する事も大事。神様からのものには、必ず平安が伴う。要するに、私たちにとって好きなものが与えられるのではなく、私たちにとって良いものが神様から与えられるということを心に刻みたい。「求めなさい。探しなさい。たたきなさい。」は、神様を第一として歩む信仰の土台に置くあり方。神様の恵みに委ね主に信頼して歩ませて頂こう。

投稿者プロフィール

setachu
setachu
説教梗概

前の記事

「ひとつの」
説教梗概

次の記事

「バプテスマ」