「祈りのことば」

2021年8月29日礼拝説教梗概

聖書:詩篇27篇

説教:安藤啓子牧師

祈りが苦手という言葉を、よく耳にしてきました。祈りに必要なことは、まず神様を信頼すること。その上で、自分の心のうちを神さまに祈ることです。その苦手意識から解放される手がかりとして、詩篇27篇から賛美と祈りのことばに目を向けてまいりましょう。この詩篇は二つに分けることができます。6節までは、ダビデが困難によって信仰を試され、確信に至ったからこそ、神様への信頼と確信に満ちた信仰の告白が捧げられています。7節からは、想定外の事が次々とダビデの身に降りかかり、自暴自棄になってしまった時。ダビデは神様への信頼に立って、神様の御顔を求め、神様の臨在の中で静まることを願い求めたのです。そして、神様は決して自分を見捨てたりなさらないと信じて、自分の苦しい心の叫びを懇願を切々と訴えています。神様に祈った時、これまで幾度も経験してきた危機。その中で経験してきた神様の守り。神様との関係を思い出す中でダビデは確信と平安を得ています。そうであるなら、今日の私たちが想定外の試練や患難で自暴自棄に陥ったときには、どうしたらいいのでしょうか?私たちにも与えられているのが信仰です。神様を信頼する心です。神様が私たちに与えてくださった信仰は、私たち人間側の疑いなどで奪われてしまうようなことは決してありません。もし日常生活の中で不安でたまらなくなったり、落ち込んでしまうようなことがあれば、これまでの神様との関係を思い出しながら、今日の詩篇27篇を、自分の祈りの言葉として神様にささげてみてください。神様は私たちを元気づけ、新たにし、教えるために、しばしば待つ時間をお用いになられるお方だからです。どんなときでも神様から目を離さないで頂きたい。神様は私たちに、一人一人に御顔を向け、御目を注ぎ、わたしと共にいるようにと導いていてくださるお方なのです。祈りの言葉、祈る思いも神様から与えられるものです。私に祈りなさいと祈りを導いて下さる神様に信頼し、今日も生きておられる神様に祈りつつ歩んでまいりましょう。

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setachu
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