「イエス・キリストの名によって」
2021年5月30日礼拝説教梗概
聖書:使徒の働き2章41~3章10節
説教:安藤啓子牧師
今日の箇所は、ペンテコステの続きと誕生した教会に起こった「美しの門」での出来事。これは、神様が起こしてくださった奇跡。その奇跡は体験した人にも目撃した人にも、教会の、神様の証となる出来事です。さて、聖霊の力とは、「イエスの証人」となる力です。その「力」は、色々な現れ方をしていきます。3章では、聖霊の力が「イエスの名の力を、証しする力」として現わされます。時は午後三時の祈りの時間。「美しの門」に運ばれて来た「生まれつき足の不自由な人」はこの日、使徒たちが祈るために宮に入ろうとするのを見て、施しを求めたのでした。使徒たちはその人をじっと見つめて、「私たちを見なさい」と言い、そのことばをもらった人は、何かを受け取れると期待して、二人に目を注ぎました。ペテロは「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と告げます。このナザレのイエス・キリストの名は、イエス様の権威、イエス様に与えられた権限です。この足の完全な癒しと回復は、同時に礼拝への回復、神様との回復が目に見える形で与えられたのでした。イエス・キリストの名には人を癒すだけではなく、人を救う力があるということです。ペンテコステによって生まれた教会の霊的な力は、「イエスの名」にありました。聖霊の力、イエスの名の力を自らが経験し確信した使徒たちだから、病める彼に向って「私たちを見なさい」と力強く告げることが出来たのです。まさに福音です。この事は、聖書を読む私たちへの、神様からのチャレンジです。「私を見なさい」という言葉は、自分に目を向けさせるではなく、自分を変えた神様に目を向けさせます。私たち自身も、確かに変えられている事を経験しています。大胆に聖霊の力を信じて、救われてほしい方々の名前を覚えて、イエスの御名によって祈ってまいりましょう。
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