「至福と悲惨」
2022年11月20日主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書6章20~26節
説教:住友曉伝道師
今日の箇所は「平地の説教」の序論部分で、弟子たちに向けて語られました。
主イエスが語られた4つの至福は、弟子となった「貧しい者」、「飢えている者」、「泣いている者」、「主のゆえに迫害される者」に対してのものでした。
人々が避けたいと考える貧困、飢餓、悲しみ、迫害を抱えている弟子は至福を得るのだと祝福されました。続けて、富や食べ物、娯楽や名誉など、得ると幸せだと誰もが思うものを取り上げ、それらは決して満足をもたらさず、哀れで悲惨なものなのだと言われました。
イエス様は終末的観点から至福と悲惨をお語りになりました。終末とは、個々人が死んでいく時のことではなく、主が再臨され、死人が復活し、天地万物が創造の時の栄光を回復されるという新天新地が訪れる時のことです。その完成した神の国、完全な神の支配においては世の常識とは正反対の状況が訪れるのだという革命的宣言でもありました。
誰もが神様に祝福されたいと願います。同時に、多くの人は貧乏ではなく、物質的にも内面的においても富む者となりたいと思っています。飢えではなく、物質的にも内面的、霊的にも満たされることを望みます。泣くのではなく、いつも冗談を飛ばして笑っていたいのです。しかしその様な欲求で心を一杯にし、今それを受けとっている者は「哀れで悲惨だ」と主イエスは一蹴したのです。主は至福と悲惨を対にして私たちに神の国の倫理基準、キリスト者の生き方を示されました。
神の子イエス様と共に「やがて」の新天新地の前味わいとして、この世に「既に」神の国・神の支配が飛び込んで来ました。弟子となったあなた方には既に神の支配が与えられ、神の支配の中に生きているのだと、イエス様は語りかけているのです。やがて再臨の主は栄光の座において私たち弟子に最終的評価を下されます。真の主の弟子として主の栄光を等しく相続する。その終末的希望に向けて、今、私たちは至福を得る生き方と、悲惨に至る生き方のどちらかを選択しなければなりません。「やがて」と「既に」の間の「今」をキリスト・イエスにある価値を選び取り、「幸いだ」と主に宣言して頂く生き方。主にある弟子、キリスト者としてそのように歩んでまいりましょう。
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