「暗闇に光」
2022年11月27日主日礼拝説教梗概
イザヤ書9章1~7節
説教:安藤友祥主任牧師
この箇所はキリスト預言と言われる箇所です。神様が与えられる光について語られています。イザヤ書において光を見るのは、闇の中を歩んでいた民でした。死の陰の谷と言う表現も使われているように、死の恐れ、滅びの恐怖、命の危機。それら絶望的な闇の中を歩んでいた民が、まさにその闇の中で光を見るという出来事です。
しるしとして与えられるそのみどりごは「私達のため」に生まれる方です。私達に無関係な存在ではなく、私達に関わりのある存在として生まれて来られる方です。イザヤが預言していた絶望の世界に、命を与え、平和を与える神様としてイエス様は来てくださいました。神様が与えてくださる光、救い主は、神様との回復をもたらす、神様が与える本当の平和の中に招くために、命を与えるために与えられた光でした。
社会に目を向ける時に私達を不安にさせる闇があります。けれども、私達の内側にも闇がある事に気が付きます。私達が感じる闇の原因は、私達が抱える罪の問題です。罪は私達と神様との関係を壊し、不安にさせます。自分の命の尊厳を脅かし、人の命の尊厳を脅かします。自分の中にある闇に解決が欲しいと願うも、なかなか自力での解決が見いだせず苦しむ事も経験します。神様が与えて下さる光は、そんな私達の中にある闇、私達の中にある死の陰の谷を照らす真の光、解決の光です。
罪の問題の解決には何が必要なのか?それは自分の中にある闇、罪の問題と向き合い、その事を神様に解決してください。救ってくださいと悔い改め祈ることです。自分の罪が分からなくては、解決もありません。自分の中にある罪の闇にイエス様の光を照らしていただく事です。その時に、神様との関係が死んでいた者に、命が与えられ、新しい命で生きる生き方が始まるのです。イエス様を光として、イエス様を救い主として信じ生きる時に、その人には神様の平和が与えられます。これまでとは違う、全く新しい、神様が下さる平安、平和、喜びの光の中を生きる事が、始まるのです。そしてその平和は、与えられるだけでなく、その人もこの地上において光となり、神様の平和を拡げる人へと変えられます。救い主との出会いは自分を変えます。そしてその神様によってその変えられた歩みは、この地上における、神様の愛と平安の中に活かされる歩みなのです。
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