「始まりの系図」
2022年12月4日主日礼拝説教梗概
マタイの福音書1章1~17節
説教:安藤友祥主任牧師
マタイの書き出しに目を向ける時に創世記を意識した書き出しをしている事に気が付きます。旧約聖書の創世記が神様によるはじまり、創造の出来事を書いた書物であったように、マタイは、この福音書をイエス様による再創造の経緯、出来事を書き表そうとういうニュアンスも込めていると言えます。と同時に、実際にイエス様がどのような血筋で生まれたのか?アブラハムとダビデの子孫であるという、神様の預言の成就を読者に示そうとしているのです。イエス様こそ、神様が約束していた永遠の王であり、ダビデの子孫として来られる正統な王様であると。
この系図には4人の旧約聖書に登場する女性の名前がここにあります。そして、この4人の女性は、全員が異邦人であり系図に書き加えるにはいわくつきの女性とも言えます。女性だけではなく、第二セクションの14人はダビデ王朝成立からバビロン捕囚までの期間の王様の名前です。その中には、聖書が悪い王であると説明している王たちの名前も、多く書かれている事に気が付きます。罪の系図とも言えるような系図の末に、イエス・キリストは生まれてきてくださったのです。この系図には王も男も女も、不倫したものも売春婦も、異邦人も含まれている。言い換えるならば、全ての人の救い主となるイエスが見出せる系図です。
系図について考える時に、それは「神様の人選の不思議」と言えるかもしれません。イエス様の系図に限らずですが、聖書を読む時に私達は、神様の選びを見ます。12弟子と同時代にガマリエルやニコデモもいたのに、弟子として選ばれたのは粗野で野蛮、乱暴な漁師や取税人たちでした。異邦人の女が系図にいる。悪い王様が系図にいる。けれどもそのように人を選び、系図に加えて行った神様を、そのように働かれてきた神様を私たちは見るのです。まさか本人たちも、自分達が救い主の系図に加えられているとは思いもせずに生きていたはずです。
人の目から見たら落ち度や弱さ、欠点や汚点とも思えるような事があるかもしれません。けれども、人間的な弱さを強さに変えるのが神様と言えます。そこに神様が働かれる時、介入される時に、神様のみわざがなされていくのです。この系図から聞こえて来る事。それは、神様の歴史的な働きは、人間の失敗や罪によって制限されることはなく、普通の人々を通して働かれるという事実です。
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