「赦されるだけでなく」
2023年2月5日主日礼拝説教梗概
ローマ人への手紙8章14~16節
説教:安藤友祥主任牧師
「聖霊は、我らに父と子を示し、罪を認めさせ、赦しを与え、我らを新たに生まれさせ、神の子とする。人は、自分の行いによらず神の恵みにより、主イエス・キリストの贖いのゆえに、キリストを信じるただその信仰によって義と認められる。さらに、聖霊は、助け主、慰め主として我らの中に住み、我らを主と同じかたちに造りかえ、我らに御旨を行わせ、世の終わりまで我らとともにあり、我らをキリストとの共同相続人とする。」
聖霊が私たちの中に住んでくださる。このことを通して私たちはイエス様と結合します。イエス様とつながることは、イエス様と同じ経験を共有すると言うこと。共に生かされ、苦しみ、死に葬られ、復活して栄光を受けると言うことです。その結合は、霊的な結合、法的な結合、いのちの結合、不可分の結合です。イエス様との結合は共同体を一つにします。同じ聖霊が与えられ同じイエス様につながり一つとされているゆえの一致です。
子とされるという事は、神の相続人として養子に迎え入れられたということ。神様との和解が与えられ、奴隷ではなくなり、神様の訓練を受ける者になりました。
救われた人の生き方はイエス様に似たものとされる生き方。イエス様の生き方は、「赦す生き方」と言えます。私たちも神の子とされたものとして、赦されたものとして、赦す生き方をしていきたいのです。私たちは赦す困難を味わいます。その中で神様に目を向けると本来赦されないことを赦された。赦すだけではなく和解を、和解だけでなく、神の子としての身分を与えられた。ありえない出来事です。私たちは赦すのも精一杯です。赦せるならまだしも、赦す困難と闘ってしまう。けれども神様は、赦しの先があるのだという事を見せているのです。赦す生き方。赦しの先がある生き方のためのイエス様との結合。イエス様の命が与えられているという事だと。
赦されているのに、赦せない自分の苦さを経験します。その時に私たちは救いの出来事に立ち返り聖霊の働きの中に置かれていることを思い出します。イエス様のようにしていただいている最中です。「イエス様のように」と祈れる歩みの中に置かれています。
引用箇所:ガラ2:20、ロマ8:9~11、ロマ8:1、ヨハ15:5、ピリ4:13、ロマ8:38~39、Ⅱテモ2:12、Ⅰペテ4:13、ロマ8:15、エペ4:32
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