「第7のしるし」

2024年6月9日主日礼拝説教梗概

ルカの福音書 20章1~18節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 復活の朝。「それから三日目のこと」のように書く方が自然とも言えますが、そうではなく「週の初めの日」と新しい一週間のはじまりの日であることを思い起こさせ、新しい週のはじまりの日に大きなことが起こった事を教えます。

 朝早く墓に来たマグダラのマリアは、墓の蓋をしていた石が取り除けられているのを発見し、墓荒らしにあったと考え弟子たちのもとに急ぎます。墓の中の様子を見た主が愛された弟子は、「見て信じた」と書かれます。彼は墓荒らしにあったのではない。イエス様はよみがえられたと、イエス様に出会い、見る前に信じることが出来ました。

 マグダラのマリアは、墓を覗いたときに二人のみ使いを見つけます。彼らはマリアになぜ泣いているのかと質問します。14節でイエス様が出会われ、同じ質問をされても変わらないマリア。イエス様は、多くを語らず、一言だけ「マリア」と名前を語り掛け、この一言、名前を呼ばれたときに、マリアは、自分が話していたのがイエス様だと気づくのです。ヨハネの福音書10章でイエス様は言っていました。「自分は良い羊飼いであり、自分の羊は自分の声を知っていると。」まさに、マリアはイエス様の声を知っていたと言えます。名前を呼ばれるという個人的な関係が、彼女の中にあった、「イエス様は死んでしまった。遺体はどこかに行ってしまった」と言う誤解を解き、イエス様はよみがえられたという真理にたどり着くのです。

 イエス様はマリアに弟子たちに復活を伝える役割を与えます。そして伝言の言葉でイエス様の弟子たちに対する呼び方が変わっていることに気が付きます。しもべ、弟子、友と呼ばれていた彼らが、ここで初めて、「わたしの兄弟たち」と呼ばれています。神様はあなたがたの父なのだという、神の子となる新しい関係が表わされています。

 ヨハネは十字架と復活の出来事を福音書に書いてきた7つ目のしるしとして書き、イエス様の栄光を現します。最初の庭では、女が蛇に質問され、悲しみの結果に繋がりました。この新しい庭では、女が質問され、神様が共にいることが約束され、泣かなくてもよいと教えられます。イエス様によって回復の出来事、新しい創造の出来事は始まっているのだと教えてくださっています。イエス様が確かによみがえられた。それが教会の宣教のことばです。

投稿者プロフィール

setachu
setachu
説教梗概

前の記事

「血と水」
説教梗概

次の記事

「恵みを待ち望む」