「敬虔な恐れをもって」
2024年7月21日礼拝説教梗概
聖書:ペテロ第一の手紙 1章17~21節
説教:安藤啓子牧師
このペテロの手紙は苦難の中にあるキリスト者達を励ますために執筆されました。これまで使徒ペテロは、彼らの苦難を意識しながら、神の救いの偉大さ、すばらしさについて語ってきました。それは最初の人アダムが罪を犯した時から、預言者たちを通して預言されていたことで、永遠の昔から神様によって計画されていたことです。
17節でペテロが言っている「恐れつつ」とは、ビクビクするような恐れとは違います。
聖書には神様を恐れて生きることが書かれています。消極的なところでは、悪から遠ざかる。悪から離れる。積極的なところでは、アブラハムにもみられるように、神様が望まれる生き方を実践する。神様を第一とする。自分の思いとは違っても、神様の命令ならばと従っていく。いろいろな誘惑がある中で、神様が示されたものを選び取って従っていくことなのです。
そして18-19節でペテロが語っているように、私たちの救いのために、私たちが贖われるために、神様とイエス様がどれだけの犠牲を払われたか。自分の力の及ぶ次元ではない。徹底的にイエス様の犠牲のみ。一方的に与えられている恵み、それが救いなのです。ですから私たちにとって大切なことは、この「救いを喜ぶ」ことです。救いを喜ぶ感謝と心が、大切なのです。神様に信頼を置く事。神様に信頼を置き、救われたこの喜びをもって主とともに生きていくことが大事なのです。
次に20節をご覧ください。このキリストの血による贖いは、いつ定められたのでしょうか。世界が創造されるずっと前から予め定められていたことだったのです。神様は創造者であると同様、永遠の贖い主であります。
21節をご覧ください。イエス様の十字架での死と復活によって、私たちは罪の奴隷と死の束縛から解き放たれました。そして、イエス様がその死から甦えられたことによってイエス様ご自身と同じいのち、永遠のいのちに与る者とされたのです。ですから、私たちの信仰と希望は、このイエス様を死者の中から甦らせてくださった神様にかかっているのです。そしてこの希望は、絶対に失望に終わることはありません。これは生ける望みなのです。この望みを知れば知るほど、私たちに今どんな困難があっても、それを乗り越える力が与えられます。
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