「旅のはじまり」

2024年9月8日主日礼拝説教梗概

ルカの福音書 9章51~62節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 ルカの福音書では、今日の箇所から、エルサレムに向けての旅が始まります。この旅、19章まで続き、ルカの福音書の大部分を占めています。

 51節では「天に上げられる日が近づいて来たころ」とイエス様が、神様から与えられた計画。その成就が差し迫っての出発であることが見えてきます。そこに至るまでの受難も受け止めた上で、運命の場所、エルサレムに向けて出発します。

 サマリアでの出来事。ヤコブとヨハネはイエス様を受け入れなかったサマリアの村に火を降らせて滅ぼそうと提案します。けれどもイエス様は9:5で受け入れなかった町への対応は既に教えており、二人の提案は明らかに度が過ぎた提案。イエス様は二人を叱り、受け入れなかったサマリア人には何も言いません。イエス様はすでに6章で敵を愛する事を教えられています。

 イエス様がエルサレムへの道を進んでいくと、3人の人との出会い、やり取りがあった事をルカは記録します。このやりとりの共通点は、イエス様についていくこと、従う事を軸にしたやり取りです。ここでイエス様が教えられることは、イエス様に従う事の緊急性、そして過酷さです。イエス様はここで、優先順位を明確にされていると言えます。ここに登場する人は、何か条件や優先順位をイエス様に従う事に絡めています。イエス様に従いたい。けれども「まず」と言ってしまう。ここでのイエス様の言葉の持つ緊張感。それは何よりもイエス様に従う事を第一としなさいという迫りです。

 イエス様を第一にしたいと思い願う。と同時に、出来ていないと実感するのも私たちです。従えないから諦めるのか?と考える時に、私たちはイエス様に従う旅の中にあることを思うのです。ヤコブやヨハネが全然イエス様の教えを理解出来ていない中、従っていったように、そして、この旅の中で訓練を受け、学んでいったように、私達もイエス様との歩みと言う旅の中で、教えられ、イエス様に従う事、信頼する事、ついていくこと、イエス様のように生きることを学んでいくのです。

 私たちが厳しいと感じるイエス様の言葉ですが、ルカはこのやり取りを書く前に51節で、イエス様がエルサレムに御顔を向けたこと、毅然として進んで行かれる姿を書いていることを忘れてはいけません。

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