「10のことば」
2024年9月15日主日礼拝説教梗概
出エジプト記 20章1~17節
説教:安藤友祥主任牧師
十戒は、聖書の中に規則集のようなものがあり、その中に書かれているものではありません。歴史の中、ある出来事の中で語られた神様のことばです。独立して存在するのではなく、それが与えられる文脈、流れがあります。「なぜこの言葉が与えられたのか?」を抜きにして考えると、十戒の言葉の一人歩きが始まってしまうかもしれません。
エジプトを脱出してから2か月の旅をしてきたイスラエル。神様はモーセを呼び、神様は自分がこれまでイスラエルのためにしてきたことを思い起こさせつつ、神様の宝、神の民となる事への招きをされます。人々はその招きに喜びます。目の前にはシナイ山。超自然現象が巻き起こり、厚い雲があり、稲妻と雷鳴が鳴り響いています。その音だけではなく、角笛の音も聞こえてくる。民はそこに神様の臨在を感じ取ったのです。神様が火の中に山に下りて来られる。そのような状況に震え上がる民衆。そこに神様は、ご自分で、ご自分の声と言葉で民に語り掛けられています。20:2~17は神様が直接、モーセだけでなく、イスラエルのすべての民に語り掛けられています。民は山の上から聞こえてくる神様の声を、神様の臨在を感じざるを得ない状況の中、聞いているのです。
十戒はイスラエルが神様の救い、守り、導きを経験してきた後。神様がどのような神様であるかを知った上で与えられたものです。「それを守ると救われる」ではなく「救いを、恵みを受けたものとして応答する」ための、神様の愛に応答する生き方のガイドラインです。
ここで語られていることは、神様を愛する生き方。そして人を愛する生き方と言えます。神様に愛され救われた者として、神様を愛する。神様の愛への応答としての十戒です。「してはならない」とは少し消極的な表現に聞こえるかもしれませんが、これらの事を隣人にしないという積極的な選択が与えられたと取れます。この神様のことばを積極的に受け取って生きていくならば、これらのことを自分以外の人もしなくて良いような社会形成。神の国を作っていくことに繋がります。
私たちがおかれている世界は、十戒が求めるように生きることが出来ない状況、環境。この世界の中で神様が十戒で言われるように生きる事は非常に難しい事です。だからこそ私たちには神様の助けと導きが必要なのです。
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