「心のある場所」

2025年2月2日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書 12章13~34節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 イエス様が弟子たちに話している中、個人的な内容でイエス様に突然話しかけた男性の姿が13節にあります。この事をきっかけにイエス様は貪欲に気を付けるべき事を教え始めます。貪欲とは、「もっともっと欲しい」という飽くことのない欲望と表現できます。そしてイエス様は不安や心配とは関係のない、安心や豊かさについて教えられようとしています。

 イエス様の用いたたとえ話の中、なぜこの金持ちは愚か者と言われてしまったのか?神様がおっしゃる愚か者とは、神様の事を考えていない、神様の存在を思い描いていない姿に関して表現されます。金持ちのひとりごとで何度も繰り返される「私の」と言う言葉。彼は自己中心、自分の事しか考えていません。神様が意識に入っていません。

 イエス様が22節から語られることは、『心配するな。神様を信頼して安心しなさい』という事。弟子たちの中にある不安を取り去ろうとしているのです。イエス様はこの箇所で弟子たちに、また福音書の読み手である私たちに「なぜそんなに心配するのか?」とチャレンジしています。烏と草花を引き合いに出しつつ、神様は、あなたがたにはどれほどよくしてくださるかと教えます。

 28節「信仰の薄い人たち」イエス様は、信仰が『無い』とは言っていません。弟子たちは12弟子の派遣の出来事を含め、何も持たずに派遣されましたが、しっかりと養いを体験し、無事に帰ってくることが出来た人々。その後の5000人の給食も体験し、神様が養ってくださったという確かな経験をしていたにもかかわらず、弟子たちの不安や心配は無くなっていなかったことが見えてきます。イエス様は言うのです。あなたたちが心配していることは、神様を信じていない人が心配するようなこと。そのような心配に目を向けるのではなく、神様の御国、ご支配を求め、心を向けなさい。神様はあなた方の必要を知っていてくださるからと教えます。

 私たちが受けているものは、神様から与えられ受けているものとの視点。私たちの必要を神様は知っていてくださいます。『すべてを自分のために』ではなく、示される愛のわざの実践を行っていきたいのです。そしてそれが天に宝を蓄えることに繋がるのだとイエス様は言われます。私たちが受けているものは、私たちが管理を任されているものです。

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