「解放の安息日」
2025年3月2日 主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書 13章10~21節
説教:安藤友祥主任牧師
今日開いている箇所はある安息日に起こった、ある会堂での出来事です。安息日にイエス様が会堂に現れ、律法の教えを語られる。イエス様はその会堂にいた女性に目を向けられます。18年もの間、病の霊に憑かれて腰を伸ばすことが出来ない女性。イエス様は求められたわけではなく、一方的に彼女を病の霊から解放し癒されました。その出来事に喜ぶのではなく憤って語り始める会堂司。彼はイエス様がしたことは安息日規定を破っていると考え、注意を促します。彼は会堂司としては、自分が任されている会堂での責任を果たそうとしました。会堂の秩序を守ろうとしたのです。彼の主張は正論のように聞こえます。この会堂司の主張を聞き、イエス様は答えられます「偽善者たち」と。神様の真意があるにも関わらず、それを無視する、考えない、聞こうとしない人々にイエス様が使われる呼び方です。
イエス様はこの出来事は解放の出来事であると教えられます。この女性の癒しは、病の霊からの解放。言うなればサタンの支配からの解放です。安息日に関して書かれている申命記5章で思い起こされている事は奴隷からの解放の出来事です。神様の救いのわざ、解放の出来事を記念して安息日が守られることを神様は命令しています。イエス様がこの日されたことは、労働ではなく、解放の出来事です。出エジプトが悪からの解放だったように、この日起こった出来事もサタンの支配からの解放の出来事。だからこそ、この解放の出来事は安息日にふさわしいのだとイエス様は考えられ、教えられます。イエス様は彼女のことを「アブラハムの娘」と呼ばれました。彼女に起きたように、アブラハムの子孫全体に、イスラエル全体にこの解放の出来事、サタンの支配からの解放が起こらなくてはいけないのだとイエス様は考えておられます。サタンの支配、悪からの支配からの解放が必要であり、それをもたらすのは神の国の出来事だからです。
安息日の会堂でイエス様が女性を呼ばれ解放されたように、すでに救いを受けている私たちも、イエス様に呼ばれ、解放、救いを体験した一人一人と言えます。この解放の出来事、救いの出来事を記念することが出来るのも、イエス様が持ち込まれた神の国が確かに広がっている目に見えるしるしであり、人を救ってくださる神様が今も生きて働いておられるしるしと言えます。
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