「神の国に生きる」

2025年9月14日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書18章15~30節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 

 今日開いている箇所には、大きなテーマとして、神の国、永遠の命に関すること。イエス様に信頼して従うという事。そして、神の国に生きるとはどのようなことかを、今日の箇所は私たちに教えてくださいます。

 イエス様のもとに、幼子を連れた人々がやってきます。ところが、弟子たちは、それを拒絶し、𠮟りつけます。当時、子どもたちは基本的に無価値と見られていました。しかしイエス様は子どもを拒否するのではなく、逆に、連れてくるように招き、受け入れ、神の国は、この幼子のような者たちのもの。子どものように受け入れなければ決して、入ることはできないと教えられます。

 18節、子どもたちの正反対のような指導者が登場します。社会的な立場があり、人々からも尊敬される人物が登場します。彼はイエス様に「何をしたら神の国を受け継ぐのか?」と質問します。イエス様は指導者からの質問に答えますが、イエス様の強調点は律法に書いてある戒めです。指導者は「自分はそれを守ってきた」と自負します。イエス様はそんな彼が持つ欠けを指摘します。彼の欠けは、神様に従っているようで、神様に従っていない。自分の財産を第一とする偶像礼拝の罪でした。そして彼の隣人愛の無さ、神様への信頼の無さを指摘します。彼は神様の事も、自分の貪欲さも、見えていませんでした。

 神の国を受け継ぐことに関する、幼子と指導者の違い。それは、子どものように与えられるものを、ただ信頼して受け取るだけに対して、指導者のように自分の力や行動で手に入れると考える。この大きな違いがあります。イエス様は28節からのペテロたちとのやり取りで、すべてを捨てて従ったものが受ける報いに目を向けさせます。手放して終わりではなく、それに報いてくださる。信頼してイエス様の言葉に従う時に、子どものようにただただ信頼して受け入れるときに、求めていた神の国、永遠のいのちを受けることが出来るのだと教えます。

 神の国に生きるとは、『やがて神様と共に生きる』ではなく、今、この時、この場所で神様と共に生きることを体験していきます。イエス様と出会い、そして、神様にゆだね、信頼して生きていく結果、神の国がやがての出来事ではなく、今、この時、この地上で神様と共に生きることだと体験していきます。

投稿者プロフィール

setachu
setachu