「王は子ロバに乗って」
2025年11月23日 主日礼拝説教梗概
聖書:使徒の働き19章28~48節
説教:安藤友祥主任牧師
子ロバに乗ったイエス様は、エルサレムへと進んで行き、人々が上着を敷き、道を作っていきます。この子ロバに乗って進まれるイエス様。そしてそのイエス様の進まれる道に上着を並べる人々という情景は、「イエス様が王である」ことを、イエス様だけではなく、人々も一緒になって、それを描き出しています。オリーブ山も下りに差し掛かると、この行進はクライマックスを迎え大勢の弟子たちが詩篇118篇に「王に」という言葉を加え賛美します。
イエス様はエルサレムに近づき、エルサレムのために泣かれます。イエス様は泣きつつ、エルサレムへの悲劇を預言されます。そしてこの言葉は、怒りや呪いというよりも、嘆きに近い内容です。ここで言う平和とは、神様と平和な関係にあるという事。それがエルサレムには無い。そこに向かう道さえも見えない霊的な盲目が言われます。その結果、神様との約束に生きない都に裁きが下されます。エルサレム到着後、最初にしたことは「宮に入る」ことでした。宮きよめをされた後、イエス様は毎日宮で教えられます。教える環境を整えられるイエス様の姿があります。
イエス様は、誰が見ても約束の救い主であり、王である方だと分かる視覚的なイメージを持って現れました。大勢いた弟子たちは、待ち望んでいた救い主だと意識して、歓迎し、賛美しました。王様として迎える準備は出来ていると言わんばかりです。ただ、考えたいことがあります。なぜ彼らはイエス様を歓迎し、賛美したのでしょうか?彼らはローマからの救い主、強い王様をイメージしています。けれども、実際は違います。イエス様は罪からの、神様の裁きからの救い主として来られます。エルサレムに入場されたのも、革命を起こすためではなく、十字架につけられ殺されるためです。その事実を、イエス様を賛美した人たちは、知っていたのでしょうか?この先、大勢の弟子たちが、期待と違うと知り、イエス様から離れて行く姿が描かれていきます。
私たちも「こんなはずじゃなかった」と思う時、あるかもしれません。イエス様を王として迎え、イエス様に従う時に、「こんなはずじゃなった」「誤解していた」という事、あるかもしれません。ただ一つはっきりと言えることがあります。イエス様を王として迎え、従う時に、そこには神様の平和、神様との平和がある人生だという事です。
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