「カエサルのもの、神のもの」

2026年1月25日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書20章20~40節

説教:安藤友祥主任牧師

 今日開いている箇所では、2つの議論が巻き起こっています。これらは、何か知的好奇心を満たすための議論ではありません。そのどちらも、イエス様を失墜させよう、民衆からの支持を失わせよう。場合によっては、イエス様を捕えて排除しようという企みが巻き起こす議論です。そして今日の箇所は私たちに次の問いかけをしてきます。「あなたは誰のものとして生きているのか?」という問いかけです。

 1つ目のグループは税金に関する質問を用意しました。イエス様はこの悪質な質問を見抜きます。デナリ銀貨に書かれているローマ皇帝の主権と神格化を主張していた表現を確認し、言われます。「カエサルのものはカエサルに。神のものは神に返しなさい。」地上において立てられている権威は、神様が立てている権威とも言えるので、そこに従う事を教えています。イエス様はここで、地上の権威の求めには従う事は否定しません。ただ、この世の権威が、神様が求めているものに反するならば、そこには従ってはいけない。従うべき一番の権威が何であるかの確認がここでされています。

 2つ目のグループはサドカイ人たちです。律法にあるレビラート婚を引き合いに出して復活の矛盾点を示そうとします。イエス様は、まず彼らが復活に関して認識がずれていることを指摘します。サドカイ人達は、復活が起こった時に、現在の状況の延長のような状況だと認識しています。けれども、次の世では人間は御使いと同じようになる。今の命とは全く別物の命の状況になる。さらに、人間は肉体が滅びた時に、死んだと考えてしまいます。けれども、神様から見るならば、肉体は滅んでも霊が滅んだわけではない。神様は生きているものの神様だから、ここで名前が挙がったアブラハムも、イサクも、ヤコブも、神様からしたらみんな生きていると教えます。

 イエス様は言われました。「神のものは神に返しなさい」創世記では、人間は『神のかたち』として創造されました。そして、神様のものである私たちは、ふさわしく神様に返されるべきもの。神様のものとして生きることが求められています。サドカイ人とのやり取りの中でも、復活する人はどのような人かと説明する時に、主権者である神様が「ふさわしいと認めた人」が復活すると教えます。では今、私たちは誰のものとして生きているでしょうか?

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