「いのちの勝ち取り方」

2026年2月8日 主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書21章5~38節

説教:安藤友祥主任牧師

 今日開いている箇所はイエス様が「世の終わり」を語る場面として、不安や恐れを抱かせやすい箇所です。しかしイエス様は、人々を恐怖に陥れるためではなく、滅びゆく世界の中で弟子たちが何を信頼して生きるのかを教えるために、この言葉を語られました。これは神殿での最後の教えであり、受難を前にしたイエス様の大切なメッセージです。

 人々が豪華なエルサレム神殿を誇る中、イエス様はその神殿が破壊されると告げられます。そして、エルサレムの滅亡と、将来起こる世界の終わりという二つの出来事を語られます。

 これらは混同されがちですが、イエス様は「終わりはすぐには来ない」と語り、時間的な隔たりがあることを明確にされます。まずイエス様は、偽キリストや偽預言者に惑わされないよう警告されます。「私こそその者だ」「時は近づいた」と不安を煽り、自分を誇示する者に従って行ってはならないと教えられます。また、戦争や混乱を聞いても恐れるなと言われます。それらは神のご計画の中で起こることであり、終わりのしるしではないからです。

 続いてイエス様は、弟子たちが迫害され、裁判にかけられ、時には命を失うことさえあると予告されます。しかしそれは、イエス様を証しする機会であり、聖霊が必要な言葉と知恵を与えてくださると約束されます。人に裏切られ憎まれる中にあっても、神様は一人ひとりを覚えておられ、「忍耐によって、自分のいのちを勝ち取りなさい」と語られます。ここで言う「勝ち取る」とは、新たに命を得ることではなく、すでに与えられている命を信仰によって手放さないことです。

 20節以降では、エルサレムが神の裁きとして滅ぼされることが語られ、弟子たちは都と運命を共にせず、神の言葉に従って逃れるよう命じられます。一方、25節以降では再臨が語られ、イエス様は栄光のうちに再び来られると約束されます。天地は滅びても、主の言葉は決して滅びません。

 イエス様は、終わりを恐れではなく救いの完成として迎えるために、目を覚まし、忍耐し、祈り続けるよう勧められます。祈れない時には、ただ「イエス様」と呼び求める。その小さな祈りの中で、私たちは与えられた命を守り、主の再臨を待ち望む者とされるのです。

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