「おいでになるはずの方」
2023年5月21日主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書7章18~35節
説教:住友曉伝道師
1.ヨハネの疑問とイエス様の回答(v.18~23)
獄中のヨハネはイエス様が始められた宣教活動の様子を聞き、疑問を持ちました。人々に悔い改めを説き、水のバプテスマを授けていたヨハネは、裁きの時がすぐにやって来ると考えていたようです。旧約聖書に預言されたメシアがやってきて罪人が裁かれ、イスラエルの民がローマ帝国の支配から解放される。そのための道備えの役割を果たしていたのですが、イエス様の活動にその気配がない。そこで、二人の弟子を使いに出してイエス様に確認をいたします。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」。イエス様は、二人の弟子にご自身の働きの様子を見聞きさせて、それがイザヤ書の預言の成就であることを回答として持たせてヨハネのもとに返しました。神様の召しに応えて真剣勝負の信仰をもってその役割を果たすからこそ来る疑問。そんなヨハネにイエス様はつまづくことはないと励ましておられるのです。
2.洗礼者ヨハネの偉大さ(v.24~28)
イエス様はご自分について来ている群衆に対して、ヨハネに関して間違った考えを持たないようにフォローされます。イエス様は、ヨハネが間違いなく預言者以上の者で旧約の時代の最後に立つ最も偉大な者だと大絶賛されます。しかし、彼が道備えて、指し示したキリストが到来し始まった新しい神の国の時代、新約の時代においては、そのことを信じ受け入れた者はどんな小さな者でもヨハネよりも偉大だと言われました。なんと素晴らしい恵みでしょう。
3.この時代の人々へのイエス様の叱責(v.29~35)
イエス様は、ヨハネが指し示したキリストの到来による新しい時代を受け入れず旧い時代に生きるパリサイ人たちと律法の専門家たちを「この時代の人々」と呼んで叱責します。ヨハネとイエス様は、律法学者の思い通りには動きませんでした。彼らは笛吹けど踊らずの状況に文句を言い、「悪霊につかれている」とか「罪人の仲間」とレッテルを貼りました。しかし、知恵であるヨハネとイエス様の義は、彼らを信じて従い、同じ知恵の子とされた人々の生き方によって証明されるのです。
今に生きる私たちも、祈り、御言葉に堅く立って知恵の子どもとしてキリスト・イエスを証しする者とされましょう。