「泣かなくてもよい」
2023年4月16日主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書7章11~17節
説教:住友曉伝道師
百人隊長のしもべを癒されたイエス様は、弟子たちと大勢の群衆を引き連れてカペナウムからナインという町に向かいました。すると町の入り口で、葬列の一行と鉢合わせしました。それはひとりのやもめの一人息子の葬送でした。シングルマザーとして一生懸命育ててきた一人息子が死んでしまった。家系も絶え、収入のあてもなく、これからどうやって生きていけばよいのかと号泣するやもめ。死は、残された人の心に生々しい爪痕を残します。愛する息子との別離に悲しむ彼女に、愛なる主は、一方的に、内臓が揺さぶられるような激しい同情を寄せられたのです。そして「泣かなくてもよい」と仰せになり、棺に手をかけられました。葬列は停止しました。イエス様が死んでいる若者に向かって「起きなさい」と言われると若者は生き返りました。ここでもルカは御言葉の権威、力に焦点をあてています。
この地域は、預言者エリヤがやもめの一人息子を生き返らせた出来事の地でもありました。イエス様は真のメシアでしたが、出来事を見ていた人々は、エリヤの出来事と重ね合わせ、メシアの到来を告げ知らせる偉大な預言者が現れたと神を賛美しました。
私たち人間の人生にとって、泣くということ、涙を流すということは必然です。むしろ、泣くから人間なのだと言えるかもしれません。しかし、イエス様は、そんな私たちに「泣かなくてもよい」、「泣き続けなくてもよい」と優しく語りかけてくださっています。聖書は、やがて神様が私たちの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる日が来る、神様のご支配、御国の完成があるのだと約束しています。黙示録21章4節にありますが、「もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない」、そのような神の訪れ、再臨の時が来るのです。今日、主が語られた「泣かなくてもよい」とは、その宣言でもあります。
今日は復活節の第二主日ですが、復活の希望を信じることは救いの喜びを知ることです。十字架にかかり三日目によみがえられた主ご自身から、「起きなさい」と言われる日が必ず来るということを改めて心に覚えて、涙を拭いて今週も歩んでまいりましょう。
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