「花婿イエス」
2022年7月17日主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書5章27~39節
説教:住友曉伝道師
ユダヤの人々は自分たちを支配するローマ帝国の手先となって、仲間から帝国に収める税金を取り立てる取税人を、売国奴、裏切り者として大変憎んでいました。従って、彼らは会堂からも締め出されていましたが、そんな彼らの一人であるレビ(マタイ)にイエス様は目を留められました。レビの方からではなく、イエス様が選ばれたのです。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました」(ヨハネ15:16)と語られる通りです。教会の私たちも改めてこの一方的な恵みを覚えたいと思います。
レビはイエス様に出会い、新しい者へと変えられました。取税人という職を捨て、イエス様に従ったのです。彼は、イエス様を主賓として、仲間や罪人と言われる人々を招いて盛大な宴会を催しました。イエス様に出会い、新しくされた者は、そのことを分かち合い、証せずにはおられないのです。この様子に対して「汚れ」とは分離すべきだと考えるパリサイ人たちが「なぜ罪人たちと宴席を共にするのか」と批判をします。
イエス様は答えます。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」この御言葉は、自分が病人だと認める人だけがイエス様の招きに応えることができるという意味において不変の真理です。イエス様はパリサイの人を含む、全ての人を悔い改めさせるために来られました。
しかしパリサイ人は理解せず、断食と祈りという点での批判を重ねます。イエス様は、ご自分を花婿に見立ててイエス様とその弟子たちの共同体を婚礼の様子に譬えます。そこには断食ではなく、喜びの祝いがあると。
やがてイエス様は私たちの罪のために十字架上で死なれますが、復活され、悔い改め信じる私たちに聖霊を送ってくださっています。今は、私たちにとって、花嫁である教会において霊においてイエス様と共にある喜びの宴に与っている時です。同時に、再びやってくる花婿イエス様の到来を断食と祈りをもって待ち望む時でもあります。「既に」と「未だ」のはざまにあって、主と共にある確信の喜びと祈りをもって今週も歩んでまいりましょう。
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