「唯一全能の神」

2022年7月24日主日礼拝説教梗概

聖書:申命記6章4~5節

説教:安藤友祥主任牧師

 『神は霊であり、唯一全能の主である。神は永遠に父と子と聖霊の三位一体であって、その本質において同一であり、力と栄光とを等しくする。』

 私達が「神様はきっとこういう方」とイメージしたとしても、聖書が教えている事と一致しなければ、それは間違った神様観、偶像礼拝になってしまいます。また「神様のために自分がいる」ではなく、「神様が自分のためにいる」という間違った価値観を持ってしまう誘惑があります。

 私達が聖書から聴き、知り、信じている神様は、私達を愛し、救い、祝福を与えようと招かれている神様です。信じるうえで大切なのは、自分がどれだけ熱心に信じるか?ではなく、その対象がどれほど信頼できるか?と言う事です。神様はご自身の事を、聖書を通して教えて下さっています。それは赦す性質とその公正さと力の絶対性を。人知を超えた存在だと言う事を。神様には交代がなく、考え方の変化もなく、力も衰えない永遠に変わらないという事を教えてくださっています。もし神様が有限であり、力が衰え、一貫性が無く、変わってしまうならば、私達は自分に与えられている救いの約束に堅く立つ事が出来なくなります。私達が心から安心し、神様に信頼して歩むことに平安を持つことが出来るのは、神様が約束を守られ、裏切らず、心変りも無く、変わらない方であるからです。

 また聖書は一貫して、神様が唯一の方であると教えます。何か強い力をもっているように見せてくる偶像。けれども、本当に力がある神様は唯一まことの神様だけなのだという事を、私達は明確にしなくてはいけません。偽りの神々には、本当の意味で救いも力も解決も命も無いからです。何もすることが出来ない神々に信頼するという事は、どれほど無意味な事であるのかという事を神様は教えておられます。

 この唯一まことの神様を信じるという生き方は、異教文化や偶像礼拝が広がる日本において、この方だけを神様として信じ生きる。異教的な文化から自分をきよめ生きるという生き方です。神様は、私達が理性も知性も感情も含んだ全存在をかけ、命を尽くし、力を尽くして愛するべき方として私達にご自身の事を示してくださっています。

投稿者プロフィール

setachu
setachu
説教梗概

前の記事

「花婿イエス」
説教梗概

次の記事

「ここに希望がある」