「汝の罪赦されたり」
2022年6月19日主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書5章12~26節
説教:住友曉伝道師
本日の二つの癒しの話は、どちらも、4:18~21でのイエス様の福音メッセージの文脈にある、奇跡のしるしの出来事です。
最初は、「全身ツァラアトに冒された人」の癒し(きよめ)です。以前は、「ツァラアト」=「らい病」と訳出されていましたが、今では「ツァラアト」はらい病(ハンセン病)ではないことが明らかです。従って、聖書によっては、「重い皮膚病」と訳されています(2017年版あとがき参照)。祭儀上の区別として、人間には「汚れている状態」と「きよい状態」があり、ツァラアトに罹った者は、「汚れた者」とされて、イスラエル社会では隔離されることがモーセ律法で規定されていました(レビ記13~14章)。イエス様の前にひれ伏した男は、全身ツァラアトに冒され、神への礼拝も出来ず、人々との交わりも断たれた状態でした。彼は、イエス様に「治してくれ」ではなく、“あなたは主であり、私をきよくする力をお持ちの方です”という確信、主への信頼の言葉を述べました。イエス様はその言葉に、その男の信仰をご覧になり、片手を伸ばし置いて癒されました。男に置かれた、このイエス様の片手に、人と神との繋がりを回復するイエス様の心、主のご意思が表されています。イエス様は、人間が神や人との交流を持つことを願っておられる方であり、実際、交わりが断たれていた人にその回復を為すことがお出来になる方でした。
次の出来事は、友人に寝床ごと運ばれてくる中風の男が癒される話です。彼らは、イエス様に近づくために、屋根に上り、穴を開け、病人を寝床ごと吊下ろしました。彼らには、「直ちに恵みを頂きたい。そしてイエス様に会えればそれが頂ける」という、イエス様への確信、信頼がありました。だからこそ、このような大胆で迫力ある行動に出たのです。チャンスを逃さない。ここに信仰の極意があります。イエス様は彼らの信仰を見て、中風の男に「友よ」と呼び掛け、「あなたの罪は赦された」と宣言されました。この時、居合わせたパリサイ人たちが、「赦すことが出来るのは神だけである。これは神への冒涜である」と心の中で反発します。彼らはイエス様が、罪を赦す権能を父なる神から委嘱された神の子であるとは分かっていないので、最初から対立した考えでした。父なる神からの権威委嘱を明らかにするためにイエス様は男に「立って歩け」と命じます。人々に担がれてきた男は、寝床を担いで神を賛美しながら帰りました。
私たちもこのように、イエス様に肉薄するような信仰を持たせていただきましょう。主であるイエス様は、手を伸ばして私たちに触れてくださり、「わたしの心だ。きよくなれ」、「友よ、あなたの罪は赦された」と今も呼び掛けてくださっています。