「神に至る系図」

2021年12月12日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書3章21~38節

説教:住友暁伝道師

 今日の聖書からは、二つの「なぜ」について考えます。第一に、“罪のないイエス様が、なぜヨハネの罪の悔い改めのバプテスマを受けられたのか”という点です。それは、私たちを罪の束縛から救うためでした。罪人が受けるヨハネのバプテスマを罪人でない方が受け、罪人と同列に置かれ、罪人が被る死の苦しみをご自身が被ることができるようにする。まさにメシア預言にあるとおり、「背いた者たちとともに数えられた」(イザヤ53:12)瞬間でした。そしてその選択は最終的にご自身を十字架に導く選択でした。

 もう一つの「なぜ」は“なぜルカは、マタイと異なる系図をこの場所に置いたのか”という点です。この系図は、マタイのそれと違って、まるで河を源流へと遡上するように系譜を辿り、イスラエルの父祖アブラハムを突き抜け、人類最初の人であるアダムとその創造主である神様にまで到達します。創造主である神様のもとで、最初は完全な人でありながら罪を犯したアダムを起点とすることで、この系図が罪人の行列であることを思わされます。人は、生まれ、生きて、罪を犯し、本来、死を経験しないはずであったのにアダムの罪ゆえに死を迎える。これが人間なのだということを直視させる系図です。そして、最初の人間、アダムを起点とすることは、私たちもまた、その罪の系譜に含まれていることを意味します。

 しかし、幸いがあります。アダムが出来なかったことをイエス様が完全に行い、アダムが棄損したものを回復します。罪のないお方が悔い改めのバプテスマを受け、この系図に名前を連ねることで、イエス様は人間として私たち罪人の仲間のようになって下さいました。ですから、完全な人間としてのご自身の体を、私たち全ての罪のために、十字架上にささげることができ、「民の罪の宥めがなされた」のです。ヨセフの子と考えられていたイエス様。この方は、エリの子であり、ダビデの子、ユダの子、アブラハムの子、アダムの子、そして神の子であるイエスなのです。この方こそ、信じる人々を救う為に、父なる神様が遣わされた救い主、真のメシアです。このキリストの福音ゆえに私たちも養子として、「神の子」とせられていること覚えつつ、恵みの主に感謝し、再来の期待と喜びを持って、日々を歩んでまいりましょう。

投稿者プロフィール

setachu
setachu

前の記事

「主の食卓」

次の記事

「クリスマスの挑戦」