「パウロから聖徒たちへ」
2021年4月25日礼拝説教梗概
聖書:エペソ人への手紙1章1~2節
説教:安藤友祥主任牧師
パウロは手紙を通して教会とは何か、福音とは何か、救われた者とはどのようなものかという事を伝えています。自分達キリスト者が受けている恵みはどのような恵みなのか。自分たちに何が起こったのか。またそれは何のためなのか。パウロはこの手紙の聴き手である人々を、聖徒と呼んでいます。これから聖なるものになるではなく、すでに聖徒としての存在に変えられている人々。神様が特別に取り分けられた人々だと呼んでいるのです。私たちにもパウロは呼びかけてくれるのです。キリスト・イエスにある忠実な聖徒たちへと。すでに私たちも神様によって取り分けられている。聖徒とされていると確認させてくれるパウロ。自分たちはイエス様にあって聖なるものとして取り分けられている事を。すでに自分たちがキリスト・イエスを通して神様に変えられている事を再確認させられます。そしてそれは神様から与えられた恵み以外の何物でもありません。パウロは、この手紙の読み手、教会に属する人々全員に対して、「聖徒」と呼んでいるのです。誰一人漏れることなく、キリストを通して神様と新しい関係に入れられた人は、聖徒である、取り分けられているのであるとパウロは言います。取り分けられたものとして、結果として聖なるものとなるように生きる。取り分けられて終わりではなく、取り分けられたものとしての生き方。クリスチャンとしての召しと特権、責任を思い起こさせるのです。パウロはこの手紙の中で恵みも平安も繰り返し、繰り返し使います。神様から与えられる恵みと平安があるから、聖徒たちの歩みは進められます。聖徒とされた後も、神様からの継続的な恵みを受け続ける事で、その歩みを進められます。パウロは教会の健全な歩みのために、神様が下さる恵みが必要不可欠だと分かっているから、神様から与えられるように祈っているのです。神様は、パウロを通して教会に繋がる私たちにも、その言葉を語ってくださいます。私たちも、聖徒であると。まず神様が取り分けて下さっている事を。自分のこれまでに目を向けるのではなく、今自分が神様の前にどのようなものであるのかを、今一度思い起こさせ、自分にも、教会に繋がる一人ひとりにも神様の恵みと平和が必要であり、それを求める祈りを教えて下さいます。
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