「選ばれたゆえに」
2024年2月4日主日礼拝説教梗概
ヨハネの福音書 15章18~27節
説教:安藤友祥主任牧師
イエス様は弟子たちに「互いに愛し合いなさい」という戒めを与えた後、弟子たちのこれからについて教えられます。そして、この箇所でイエス様が教えられる事柄は、今を生きる私たちにも関連する事であり、イエス様を信じる者が体験する苦しみ、憎しみ、迫害について教える言葉です。この箇所は、私たちにとって、また私たちの活動にとって、非常に実際的な言葉が語られている箇所と言えます。
イエス様の弟子となった人は、世から憎まれ、迫害されると語り始めるイエス様。弟子たちが憎まれる理由について「世があなた方を憎む時に、あなた方よりも先に私のことを憎んだのだ」と。イエス様が憎まれた。それゆえに弟子たちも同じように憎まれるのだと。またイエス様が弟子たちを世から選び出したから、弟子たちは憎まれます。イエス様に従うならば、世から憎まれることは避けられません。
私たちの意思とかではなく、イエス様が選び、任命された。その私たちには役割が与えられている。そして、その役割ゆえに、イエス様を証しするゆえに、私たちは世に憎まれるのです。イエス様を証しするときに迫害が起こります。イエス様を憎み、弟子を憎む人は何故そうしてしまうのか?それは神様を知らず、イエス様を拒んでしまっているからです。
苦難が待ち受ける弟子たちをイエス様は見放されない方です。26~27節で助け主について触れます。そしてその助け主、聖霊がなさることはイエス様の事を証しすることです。私たちは、聖霊が送られることの意味を覚えておきたいのです。なぜ聖霊によって私たちは整えられ、力が与えられるのか?それはイエス様の事を証しするためです。目的はそこにあります。確かに個人的な整え、成長はあるかもしれません。けれども、それを聖霊が与えられた目的や理由として考えてはいけないのです。
イエス様の弟子となった人は、世から選び出されていますが、選ばれた者が世から取り去られているのではなく、変わらずに世に置かれています。弟子たちのためにイエス様は17:15で祈られました。弟子たちを世界から切り離して取り去るのではなく、世の只中にあって守られることを願っておられます。私たちは、イエス様のこの祈りによって、助け主が与えられ、守られていくのです。
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