「つまずかないために」

2024年2月11日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書 16章1~16節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 イエス様はこれから先に弟子たちが体験する苦難や迫害。それを理由につまずくことがないために、信仰を捨てて背教しないようにと、これらの言葉を語られます。たしかに迫害を経験する。会堂を追放され、殺されることもある。けれどもその時に、ここでイエス様が語られたことを思い出すために話されます。迫害はイエス様からしても予想外、想定外の出来事ではなく、前もって起こることを知っておられた事。イエス様も予想することが出来ない事態が起こっていると諦めるのではなく、イエス様の御手とご支配の中で起こりうるものだと教えるのです。確かに迫害の事実はある。けれども、その迫害の中で弟子たちの信仰が守られるために助け主が与えられるのだと。

 イエス様は、これからのことを話されていますが、弟子たちの関心はイエス様がどこに行くのか?なぜ行くのか?と言うよりも、自分たちに襲い来る試練、苦しみ、迫害に心奪われてしまっています。不安を覚え悲しんでいる弟子たちにイエス様は、自分が去って行くのは弟子たちにとって、良いことなのだと教えます。イエス様はご自分が来られた目的を果たそうとされています。十字架の出来事による罪の赦し。そしてイエス様が去って行くからこそ、聖霊が送られることを。

 8節でイエス様はその助け主、聖霊の働きを3つの視点で教えられます。世の罪について明らかにする事。義を明らかにされる事。そして、さばきについて。この時、イエス様はすべてを弟子たちに教えることは出来ませんでした。けれども、真理の御霊が来るときに、その御霊が、聖霊が弟子たちを真理へと導かれるのだと伝えます。

 弟子たちは最初から最後まで神様の導き、選び、守りの中でその歩みを進めていきます。イエス様は去って行かなければならなった。そして、残された弟子たちにゆだねて行かれる。なぜそんなある意味危険な選択をされたのかと思うのです。けれども、イエス様は私たち人間に、教会に働きを委ねられました。それは、ご自分が送る聖霊が教会の働きとともにあることを知っておられたからです。イエス様は先を知っておられる方。そのイエス様は、今は心騒いで悲しみでいっぱいで、自分の心配しか出来てない弟子たちが、これから先、整えられ、変えられ、用いられることを知っておられたのです。そこにあるのは、聖霊の助けと働きです。

 

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