「平安があなたがたにあるように」
2024年6月23日主日礼拝説教梗概
ヨハネの福音書 20章19~31節
説教:安藤友祥主任牧師
イエス様が復活された週の初めの日の夕方。弟子たちがユダヤ人たちを恐れて潜伏していた場所にイエス様が現れます。イエス様の予告通り、イエス様を一人一人残して去って行った弟子たち。イエス様は弟子たちに会ってくださり言うのです。「平安があなたがたにあるように」と。イエス様は最後の夜も繰り返し、平安があるようにと語られていました。そして十字架の死と復活を経た後も、変わらずに弟子たちに平安があるようにと語り掛けてくださいます。また、弟子たちは悲しむが、イエス様にまた会う時に喜びに変わるとも予告されていました。復活されたイエス様に出会い、弟子たちは喜びへと変えられました。そしてイエス様が言われたように、この喜びは奪い去られることがない喜びです。
イエス様は弟子たちに罪の赦しに関する役割を与え、遣わされます。ヨハネの福音書では、イエス様を受け入れないことが罪だと語られてきました。弟子たちが聖霊を受けてイエス様の証しをする。その言葉を聞いた人々がイエス様を信じ受け入れる時に、罪が赦される。弟子たちは福音を伝える宣教の役割をイエス様に与えられ、遣わされるのです。
イエス様が復活された日に、トマスはイエス様に出会う事が出来ませんでした。トマスは、仲間である弟子たちからの言葉も頑なに信じず、傷口に触れるまでは決して信じないとまで言い切ります。悩みと葛藤の一週間を過ごしたトマス。彼は一週間後、変わらずに弟子たちと共にいました。そして、そのトマスにイエス様は出会ってくださった。トマスの難癖とも、嘆きとも言えるような言葉をイエス様は聞き知っていてくださり、働きかけてくださった。トマスはイエス様に「私の神」という、ヨハネが1章1節に書いた「ことばは神であった」に通じる最高の信仰告白がなされます。そしてその告白を聞いたイエス様は、「見ないで信じる人たちは幸い」との言葉を残されます。
イエス様によって証し人として遣わされ、福音が宣べ伝えられ続ける。その中で、イエス様を見ることがなくとも、聖書を通して、イエス様と出会い、信じ救われた人。その人を、また私たちを幸いだと言ってくださるのです。
イエス様は弟子たちに言われたように、私達にも「平安があるように」と語り掛けてくださる。イエス様の平安の内を歩んでまいりましょう。
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