「そんなことが分からないのですか」
2023年6月25日主日礼拝説教梗概
ヨハネの福音書3章1~15節
説教:安藤友祥主任牧師
パリサイ人であり、ユダヤ人の議員であるニコデモ。人々から尊敬される立場にあるニコデモが夜、イエス様のもとに訪れました。この箇所は二人の対話を伝えつつ、人が救われるという事についてイエス様が教えます。
イエス様はニコデモのあいさつの後、いきなり核心に迫る言葉を伝えます。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ません。」この言葉はニコデモには衝撃でした。彼はアブラハムの子孫、ユダヤ人であり、律法を守って生きていると考えていた人間。自分は当然やがて来る神の国に入ることが出来ると考えていたはずです。けれども、目の前のイエスと言う青年によれば、自分は神の国に入ることはおろか、見ることも出来ない。新しく生まれていないからです。
ニコデモは困惑します。新しく生まれる。もう年老いている自分がどうしてもう一度母の胎内から生まれることが出来るだろうか。そんなこと出来るはずないとイエス様の言葉を否定します。イエス様はニコデモの答えに嘆きます。イスラエルの教師であり、指導者であるニコデモが分かっていなかったこと。神様によるきよめと赦し、霊的刷新は旧約聖書に書かれています。ニコデモはこの夜、出会い頭にイエス様のことを「知っている」と伝えていました。けれども、ニコデモはイエス様のことはおろか、聖書のことも分かっていなかったのです。
イエス様はそんなニコデモに真理を伝えます。モーセが荒野で上げた蛇をたとえに出し、人の子、イエス様が上げられるのを見上げるときに救われると。「上げられる」はヨハネの福音書で十字架に関連して使用される言葉です。やがてその時が来たときに、イエス様が十字架の上でなされる御業によって、救われるのだと教えます。
ニコデモはこの後にも福音書に登場します。この夜の出会いは、屈辱的な体験もあったはずです。けれども、確実にニコデモを変えました。十字架にかかり、復活されたイエス様はニコデモにも出会ってくださったと想像します。
宗教的な知識や民族性は、神様との関係を築く根拠にはならない。霊によって生まれなければならないのだとイエス様ははっきり言われます。神様との関係を回復する。築く唯一の方法は、十字架で死なれたイエス様を見上げるという事です。その時、神様の奇跡によって、私たちも新しく生まれ、新しくされるのです。