「愛の負債」

2023年6月18日主日礼拝説教梗概

聖書:ルカの福音書7章36~50節

説教:住友曉伝道師

パリサイ人シモンが、イエス様をゲストスピーカーとして食事に招きました。当時の宴会では左肘を下にして横になって食事をしながらラビの講話を聴くのですが、その際は、招待客以外の人々も自由に訪れて、周りに立って講話を聴くことが出来ました。しかし、シモンは心からの敬意をもってイエス様をお招きしたのではなく、昨今人気急上昇のラビを品定めしてやろうというものでした。それ故、彼は足を洗う水の提供、歓迎の頬への口づけ、頭へ香油を振ることという、招待客に為すべき3つの接遇をイエス様にはしませんでした。

 イエス様が、食卓に向けて横になった時、その足元に一人の罪深い女性が香油の入った壺を持って立ちました。そして涙でイエス様の足を濡らし、自分の髪で拭い、その足に口づけをして、持参した香油を塗ったのです。彼女の愛情溢れた行為は、シモンがしなかった接遇に重なります。その様子を見ていたシモンは、「触れた女がどういう女であるか分からないのでは、預言者ではない」と心の中で批判めいた評価をしました。しかし、イエス様は、罪を赦すことさえ出来る預言者以上の方、メシア=キリストです。主はそんなシモンの心の中を読み取ってシモンに、金貸しに借金を免除してもらった二人のたとえを話します。シモンは、主の問いに、多くの借金を免除してもらった人の方が、金貸しをより愛すると答えます。その回答によってシモン自身が辛口評価されることになります。

 罪深い女性が主に示した愛の行為は、多く免除してもらった人の姿でした。彼女にはイエス様なら自分の多くの罪を赦して救い出してくださるという主への信頼、信仰がありました。その信仰によって彼女の罪は赦されました。

 人は赦されれば赦されるほど愛するようになります。自分の罪の深さを知れば知るほど、私たちは、主イエスを深く愛していくようになっていくのです。主は、「あなたの罪は赦されている。信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と彼女を送り出します。罪赦され、救われ、平安の内に入ることは何と素晴らしいことでしょうか。

 私たちは、キリストである主イエスの十字架を信じる信仰によって罪赦されました。今や、私達が抱えていた多くの罪の負債は神様の深い愛に対する負債に置き換えられました。この深く大きな愛の負債に対して、私たちは、神様を愛し、主イエスへの愛を注いでいく人生を歩んでいくことが求められているのです。

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