「罪の悲惨さ」
2022年9月4日主日礼拝説教梗概
エペソ人への手紙2章1~3節
説教:安藤友祥主任牧師
「はじめに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。しかしサタンに誘惑され、神のいましめに背いて罪を犯し、神のかたちを毀損した。それゆえ、すべての人は生まれながら罪と悲惨、死の支配のもとにあり、思いと言葉と行為とにおいて罪ある者である。自分の努力によっては神に立ち返ることができず、永遠の滅びに至る。」
「神のかたち」として創造された人間は、「神のかたち」としての働き、生き方を全うしたのではなく、その道の半ばで失敗した事を聖書は教えます。彼らは、神様の基準ではなく、自分で考える「良い」で生きていきたいとなってしまった。神様に従う事よりも、自分で考えて、自分で判断して、自分で生きていきたいとなってしまったのです。この出来事のように、神様からの命令に従わない事が罪であると言えます。神様からの禁止事項を破ると同時に、しなければならない事を、しないという事も駄目です。罪とは、神様との関係が壊れている状態の事を言います。それは神様と無関係になったという事ではなく、神様の敵として生きるということです。
それまで神のかたちとして神様との愛の関係の中、創造本来の役割をし、活き活きと生きていた人間は、一瞬で全てが壊れてしまいました。それまで愛の交わりを持っていた神様との関係も、恐れが支配するようになりました。本来、良いものとして創造された人間。与えられていた「神のかたち」としてのあり方。祝福は、このたった一度の神様への背きから、完全に壊れてしまったのです。愛や良心も壊され、神様との関係も壊れ、働きも本来とは違う在り方になってしまった。「神のかたち」としての良さは、全て損なわれてしまったのです。
聖書は、私達を含め、この世界は罪で歪み、救いが必要であることを私達に教えます。罪の恐ろしさは、神様が教えて下さらなければ、自分が罪の中に生きている事にも気づかないほどまでに、罪に絡めとられてしまうということです。罪がわからなければ、救いもわかりません。罪が示されるということは、神様からの導きがそこにあります。何もわからないままで永遠の滅びに至らせるのではなく、分からせて招く主のわざのうちに私たちは居るのです。私達に罪がある事を教えてくださった。その事も、神様からの愛なのだと私達は覚えたいのです。
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