「終わりの時に」

2023年3月26日主日礼拝説教梗概

ヘブル人への手紙 9章27~28節

説教:安藤友祥主任牧師

「終わりの時に、主イエス・キリストはみからだをもって再臨し、生ける者と死せる者とを審判する。主は我らをからだをもってよみがえらせ、我らをご自身の栄光と同じ姿に造りかえ、万物を新たにし、神の国を完成する。アーメン。」

 信仰告白の言葉の表現で気が付くことは、終わりの時の出来事に関して告白していると同時に、「主は」と言う主語で語られています。イエス様がその時に何をなさるのか?というキリスト論的な表現と言えます。すでに信仰告白の5番目で「キリストをどのように信じているのか?」は確認しています。「かつて」行われた十字架のみわざ。贖いの事実と、「今も」なしてくださっている私たちのとりなし。そして終わりに関する信仰告白は「やがて」のイエス様のみわざに関して告白していると言えます。

 神様は、この世界の始まりから終わりまでを明確に計画されています。そしてその計画を通して、神様の栄光が表されることを目的としています。終末の出来事は、救い、および創造の出来事の完成だという事です。

 終わりの日には、私たちは死んでいたとしても体をもってよみがえらされます。「霊の世界での最後の審判」ではなく、肉体を持ったイエス様の前で、肉体を持ってよみがえった私たちが審判を受けます。

 神様は聖書を通してこの世界の始まりからこの世界の終わり、また新しい世界での永遠の生活までもパノラマを見るかのように啓示して下さっています。確かにその途中には人間の罪や苦しみも鮮明に描かれていますが、その土台に脈々と流れている神様の贖いの歴史もはっきりと知ることが出来ます。

 信仰告白の言葉の最後に「アーメン」と書かれています。私たちは信じている事柄を告白し、それが真実であると神様に心から「アーメン」と言い表すのです。告白の内容は人間の努力や力で始まるのでも完成するのでもありません。神様の御業であり、神様からの一方的な恵みです。終末がいつ来るかわからないけれども確実に来るという約束があります。同時に、私たちにはイエス様から「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」との約束をいただいています。

引用箇所:使徒1:9~11,Ⅰテサ4:16~17,マル13:31~32,、マタ16:27,黙示20:12,黙示20:15,ロマ8:19~22,マタ28:20b

投稿者プロフィール

setachu
setachu