「聖霊の働きによって」
2022年11月6日主日礼拝説教梗概
ヨハネの福音書1章12節
説教:安藤友祥主任牧師
「聖霊は、我らに父と子を示し、罪を認めさせ、赦しを与え、我らを新たに生まれさせ、神の子とする。人は、自分の行いによらず神の恵みにより、主イエス・キリストの贖いのゆえに、キリストを信じるただその信仰によって義と認められる。さらに、聖霊は、助け主、慰め主として我らの中に住み、我らを主と同じかたちに造りかえ、我らに御旨を行わせ、世の終わりまで我らとともにあり、我らをキリストとの共同相続人とする。」
救いは、聖霊の働きです。私達の救いも全て神様の賜物、恵み、みわざです。福音が語られる時、それを聴く人の内側でも神様が働かれ、心開かれ、救われる人が起こされて来ました。神様の働き、介入は、救いへの召し、招きといえるでしょう。救いへの召しを受け、心開かれた人が御言葉に応答し、間違った方向から正しい方向に向き直る事を回心と言います。
キリスト教の真理を信じる信仰は、二段階です。まず聖書の言葉への信頼。そしてイエス様を信じる信仰、イエス様に対する信頼と確信、それに伴う悔い改めといった個人体験です。自分が罪人であると自覚し罪を悔い改める。イエス様を自分の救い主として出会うという出来事です。
信仰とは、人間側で完成するものではなく、全て神様に対する応答です。神様が教えて下さっている事に「そのとおりです。」と、真実であると確信し、自分の意志を表明することです。私達は「信仰」を「信じる」「信じた」という行動で理解しようとしてしまうかもしれません。「信じる」という自分の行動が、自分を救う。救われる為に信じる努力をするかのように。けれども、それは間違った視点であると聖書は教えます。信仰とは私たちが考えるような頭や心のレベルの出来事では無く、神様によって扱われる、深い霊のレベルでの出来事です。
神様に救われる事により、回心と同時に、神様によって変えられていくことを新生や再生と言います。救いには新生は必要不可欠です。罪を悔い改め、新しく生まれ変わり、救われるからです。新生によって私達は、神の子どもとされます。新生は繰返し起きる事ではなく、一度きりの出来事です。しかし、その後の信仰生活において継続し続ける霊的成長の開始の出来事です。
私達が救われている確信。救いの確信は私達にあるのではなく、神様にあるのです。
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