「恵みのゆえに」
2021年8月1日礼拝説教梗概
聖書:エペソ人への手紙2章1~10節
説教:安藤友祥主任牧師
パウロは私たちのかつての状態と今の状態を確認した後、今、与えられている救いは神様からの一方的な賜物、贈り物であるとエペソ教会に書き送ります。2章1~3節で確認したように、救われる以前の状態は、救いに値するものは何もなく、救いを受けるに相応しい行動もなく、ただ罪の中に死んでいただけの私たち。なぜそのような私たちに救いが与えられたのか?本来受けるに値しない恵み、救いが、一方的に与えられました。それを受け取るのはただ信仰によると教えます。ここで語られている救いとは、何か物ではなく、自分自身の命、人生に関わる神様のご計画、恵み、行為の出来事です。神様は救いを与えるために計画し、実行してくださっています。そして信仰とは与えられるもの、与えてくださる方を信頼して受け取るということ。何よりイエス様を自分の人生の主として受け入れるという出来事です。与えられている救いは、勝ち取る、努力して習得するのではなく、ただ受け取るということしかできません。人間は自分の行いでは、自分を救うことは何一つ出来ないからです。10節でパウロは救われた人に与えられている目的についてふれます。神様はキリストにあって、良い作品として私たちを造り、私たちが行うべき良い行いも備えてくださっています。かつての不従順の子としての歩みではなく、キリストの内に入れられている者として、キリストに倣う者としての歩み。神様の怒り、裁きを恐れて生きるのではなく、神様を信頼して喜んで与えられている良い行いを実践していくことが求められています。この世界にあって、キリストの身体とされている教会が、救われた一人一人がそのように生きることを通して、神様の栄光を現わして行きます。良い行いをする力も、その行い自体も全て神様があらかじめ備えてくださっています。それら恵みとして与えられているものに、私たちの目がより一層開かれ、体験していく。その神様への信頼の成長が、信仰の成長です。先に恵みは与えられています。その恵みを喜んで受け取っていきましょう。