「命を惜しむ神」
2023年7月9日主日礼拝説教梗概
ヨナ書 3章10節~4章11節
説教:浜田献宣教師
1. ヨナの召命と宣教(1-3章)
ヨナはニネベ宣教の召命を受けるも、「主の御顔を避けて」反対方向の船で逃亡する。しかし間もなく船は嵐に遭い難破しかける。ヨナは自分が神に逆らっていることを船員に告げ、自分を海に投げ込めば嵐は静まると語る。止むなくヨナが海に投げ込まれると海は凪になった。ヨナは「山々の根元まで」下り海の藻屑となりかけたが、神の備えられた巨大魚に呑まれ、その腹の中で三日三晩を生き延び「救い」を得た。
生還したヨナは、再び主の御声を聞き、今度はまっすぐにニネベに向かった。「あと40日すると、ニネベは滅びる」(ヨナ3:4)との宣言はニネベの人々の心を捉え、ニネベは神の前に悔い改めた。「滅びる」はヘブル語で「くつがえる、立ち返る」をも意味する。ヨナはニネベの滅びを語りながらも、ニネベが神の前に立ち返ることをも語らせられていた。
2. ヨナの怒りと神の御心(4章)
しかしヨナは、ニネベの救いを喜べず、逆に不愉快になり怒った。それは、ニネベが邪悪な敵国アッシリアの都であったから。ヨナは、正義の神がニネベの悪を罰し、正しい裁きをしてくださると期待していた。しかしニネベは救われた。ヨナは、あの「放蕩息子の兄」のように、悔い改めて神に立ち返ったニネベの人々を喜び迎えることができなかった。
ヨナは神の備えた「唐胡麻」によって機嫌を取り戻すも、一夜で枯れ果てたことで元の木阿弥に戻ってしまう。そして「生きているより死んだ方がましだ」と再び怒りを露わにした。ささいなことで一喜一憂し、自分の狭い基準で人をさばき、神にさえ嫉妬してしまう。「あなたの怒りは正しいのですか」と二度もヨナの心の内を探られる神。そして神は最後に「あなたが唐胡麻を惜しむように、わたしもこの大きな都ニネベを惜しまないでいられようか」と語り、ヨナ書は閉じられる。「惜しむ気持ち」はだれもが持っているが、ときにそれは狭く自己中心になりやすい。「あなたは何を惜しんでいるのか」「あなたは神から迷い出た失われた命を心から惜しんでいるのか」との御声が迫ってくる。
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