「備えているか?」
2025年5月18日 主日礼拝説教梗概
聖書:マタイの福音書25章1~13節
説教:安藤友祥主任牧師
マタイの福音書25章は、受難の直前にイエス様が終末への備えについて教えられた文脈の中にあります。イエス様は、天の御国を結婚式の介添えをする10人の娘に例えて話されました。当時の結婚式は夜に始まることもあり、一週間続きます。花婿は花嫁を迎えに行き、介添え人を連れ立って本会場へと向かったようです。そして花婿、花嫁の到着を待って盛大な結婚式が始まるとのことです。この主役の二人を連れて行く介添え人の娘たちの役割は非常に重要でした。
イエス様はこの10人の娘を「賢い娘」「愚かな娘」と厳しい表現でたとえを進めます。花婿が来ることは分かっていた。けれども、その到着が予定よりも大幅に遅れたようです。賢い娘と愚かな娘の違いは、予備の油を備えていたかどうか?でした。花婿が遅れることも見越して必要な備えをしていた、役割を果たせるように備えていた娘は賢いと言われる。対して、与えられた役割を果たそうにも、遅れる事を想定しないで必要な備えをしていなかった娘が愚かだと言われる。お互いに寝てしまっていたので、そこは関係なく、必要な備えをしていたかどうかが注目されています。
いざ花婿が来たときに、愚かな娘は油が無いために役割が果たせない。油の予備を持っていた賢い娘たちに油を分けてもらおうにも、分けてしまうと賢い娘たちも役割を果たすことが出来なくなってしまうからです。愚かな娘は油を買いに走り、賢い娘は到着した花婿を迎え、会場へと目指します。遅れてやってきた愚かな娘たち、油は手に入れましたが役割は果たせず、結婚式場にも入れてもらえません。
イエス様は終末の出来事への備えを教えられています。必要な備えをしていた娘と、そうでない娘。いざその時が来たときに、備えが無い時に、備えがある人の備えを自分に適用する事は出来ないことを教えます。自分の事は自分で責任を果たさなくてはいけない。終末は必ず来るとイエス様も教えられているにもかかわらず、備えをしていないと間に合わないことになると厳しく教えておられます。いつ来ても良いようにと、霊の目を覚ましていなさいとイエス様は言われます。恐ろしくも感じる終末の到来ですが、ここでイエス様は祝福の結婚式に例えておられます。イエス様が再び来られる事は、喜びの出来事だということを忘れずにいたいのです。
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