「聖霊の満たしを求める」

2022年2月20日主日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙5章11節~21節

説教:安藤友祥主任牧師

パウロは暗闇の中で行われている暗闇の行いを明るみに出す光の子としての役割を確認しています。ですが、11節にあるように光と変えられている教会に対して、パウロは警告もしています。「暗闇のわざに加わらず」と。光の子でも、暗闇のわざに加わる事が出来てしまう。救われていても、暗闇のわざをしてしまう時がある。むしろ、光の子とされた私達を、神様から離れさせようとするサタンからの誘惑もあるからです。パウロは私たちが光の子とされている事実をまず確認しています。教会の中に暗闇のわざをひそかに行っている人が居たならば、まずは、その人自身が、自分は光の子であるという事を改めて再確認し、立ち返る事が求められます。
パウロが伝えている事は、罪を犯した者を裁いて排除するのではなく、光の子として正しい事を示し、立ち返ることができるように導く事です。イエス様は罪を明らかにしましたが、悔い改めと回復に導きました。私達はこのイエス様に似た者と変えられています。愛と悔い改め、回復へと招くためにきたイエス様に似た者とされ、その為の神様の力を、聖霊を受けています。
パウロは、御霊に満たされた者としての生き方。共同体の在り方として、「互いに」と勧めています。御霊に活かされた生き方。信仰者としての生き方は、孤立しては完全には実現しないものです。自分一人で信仰を守る、神様と自分だけの関係があればいいでは駄目なのです。またその交わりの中心には三位一体の神様が居ます。
パウロは言いました。聖霊で満たされなさい。この言葉は命令形と同時に、受動態で書かれています。私達は自分で自分を聖霊で満たす事は出来ません。もしそれが出来ると思うなら、それは聖霊をコントロールできるという勘違いになります。私達は聖霊で満たされることを、聖霊による支配を求めます。その事を求めることは神様のみこころにかなっています。イエス様に倣って生きることも、光の子として生きることも、すべて聖霊の助けなしでは実現しません。私達の助けは主から来ます。満たしてくださる神様を喜び、聖霊に満たされることを祈り願って生きましょう。

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