「地の塩、世の光」

2021年3月21日礼拝説教梗概

聖書:マタイの福音書 5章13節~16節

説教:安藤能成主任牧師

プロテスタント教会はこの国で150年以上も経過しているのに依然として人口の1パーセントに満たない少数派です。それは紛れもない事実です。しかしこの間に教会は社会に大きな影響を及ぼして来ました。とくに明治時代に来日したクラーク博士による薫陶を受けた人々は大きな結果を残してきました。その分野は学校教育、医療、福祉、思想及び様々な分野での開発事業を担って来ました。 主イエスは言われます。「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」それが光の役目です。 地の塩の役目とは何でしょうか。古代イスラエルやアラブでは塩は腐敗から守るだけでなく、親愛と契約のしるしとして用いられて来ました。それは不変と節操を表して義務の継続を意味していました。これを「永遠の塩の契約」として聖書は記しています。キリスト者の塩としての役目は社会にあって腐敗を防ぎ悪がはびこることを防ぐことです。 塩には料理全体の味を整える役目もあります。初代教会は寡婦や孤児の世話をすることもしました。すなわち福祉を行うことや社会をより良い状況に変えることもキリスト者の塩としての役目です。現在、キリスト教信仰に立つ人々がそのような分野で注力しています。それだけではなく人々の日常生活を支える分野でも働いています。 地の塩、世の光として生きた人たちの代表は使徒たちでした。彼らは世の光として福音の光を輝かせ、不自由な人々を助けました。そして使徒たちは殉教して地の塩となったのです。多くの血が流されました。そして教会は世界に広がってきたのです。 主イエスは「地の塩、世の光になりなさい」とは言われませんでした。「あなたがたは地の塩です」と言われたのです。信じたときになったのです。だからそのような者として役目を果たしなさいと言われるのです。思いを起こさせ、実現に至らせてくださる方によって私たちがその召しにふさわしく歩むことが出来ますように。

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