「義に飢え渇く者の幸い」
2021年1月24日礼拝説教梗概
聖書:マタイの福音書 5章6節
説教:安藤能成主任牧師
「義に飢え渇く者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ5:6)
主イエスが歩まれた当時、パリサイ人がいました。彼らは自分たちこそ正義を担う者と考えて律法を振りかざして人々をさばいていました。
主イエスのみもとに集まっていた人たちは「義に飢え渇く」ということをどのように受け取ったのでしょうか。その時代の社会では義あるいは正義が損なわれている状態だったようです。
メシアとしての主イエスの働きはユダヤ人社会に正義をもたらすことでした。その教えは主なる神が昔モーセによって与えられた律法の教えに従わせることでした。その律法の中心にあったのは神を愛することと隣人を愛することでした。それは主イエスがもっとも大切な戒めとして教えられたことです。
また、主イエスが公生涯のはじめに呼びかけられたのは「時が満ちて神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。主イエスの前に活動した洗礼者ヨハネは悔い改めの実を結べと語りました。それは律法に従わせることであり、社会に正義をもたらすことでした。ですから不正がはびこっている社会で義を求める人たちはキリストが正義をもたらすことによって満ち足りることになるということです。
主イエスのことばが示すもう一つの意味は神の御前における私たちの義がイエス・キリストによって満たされるということです。生まれながらにして罪ある者、神の怒りの下に置かれている私たちが、その怒りから逃れられるのはキリストの贖いによるということです。すなわち私たちが罪赦されて義とされるのは一方的な神の恵みによるということです。「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)
何と大きな恵みの賜物でしょうか。この恵みをむだにすることはできません。ほんとうに豊かな神の愛が私たちに注がれたのです。
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