「今の機会を生かせる群れに」

2021年1月31日礼拝説教梗概

聖書:コリント人への手紙第二 4章7~15節

説教:安藤啓子牧師

パウロにとっては外には戦い、内には恐れがあるという様々の苦しみは、絶えざる経験なのでした。その彼が四方八方から苦しめられますが、窮することはありませんと言っている。なぜそう言えるのか?人間的にはジレンマに陥っているように見えるときにも、神様はそのジレンマを打ち砕き解決してくださることをしばしば経験していたから言えるのです。彼は自分の無力さを絶えず経験していたのでした。しかし神はその都度、彼の戸惑いを感じている状況を変えてくださったのでした。

 話は少し変わりますが、この数日間のこと。困難や試練をも神様の力が働くとき、確かに神様の御業が現わされると、色々と思い巡らす中での気づきがありました。

<私たちの困難は実は神のチャレンジである>と。困難な時、最高の信仰をもたらすと。確かに2020年はコロナ感染が世界中を襲い恐怖で覆った。人類はなす術がないほど窮地に追い込まれていった。巷では命をどうつなげられるだろうかと必死に模索した。この混乱の中でお互いに力を合わせて助け合って生きようと大きな動きが始まった。教会も例外ではない。どんどん広がっていく不自由さの中で私たちは改めて礼拝を献げることが霊的ないのちの源であることに辿り着けた。コロナ禍にあって様々なところが整えられて、毎週全員が礼拝に与れるようになった。これは思いもよらぬ大きな恵みとなっている。

 たましいの渇きを強く覚えた結果、何とかして礼拝を献げ、神様とつながっていたい。教会の兄弟姉妹の一人ひとりの存在の尊さに気づき、もっとしっかりとつながっていたい。いっしょに祈って支えてほしいし、支えたい。もっとお互いをよく知って祈り合って支え合いたいとの思いが起こってきた。まさに今こそ、神様が与えてくださっている機会として神様に感謝したい。神様はこの機会を十分に生かして用いるために霊的に用心深くあれと。無分別であってはなりません。神のみこころが何であるかを悟りなさいと。

 今このとき、エレミヤ29章11節のみことばの実現を信じて主に従いましょう。

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setachu
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