「自由をもたらすもの」

2022年9月25日礼拝説教梗概

聖書:ヤコブの手紙 1章19~27節

説教:安藤啓子牧師

 

 今日は、私たちに自由をもたらす完全な律法はどのような律法なのかを探り、ヤコブからの励ましと勧告を聞いてまいりましょう。

 聞くに早くですが、怒る事と語る事とを並べて遅くと言っているのには、どんな意図があるのでしょうか?自分が言いたいことを主張する前にまず、自分の目の前にいる人のことばと、そこにある思いとを聞くようにと教える。

 また、たましいを救うという意味は、キリストによって新しく生まれた人にふさわしい者にするということ。それは、かたちだけのクリスチャンではなく、日々の生活の中で、実質の伴った・キリストの弟子として生きるように造り変えられていると教えるヤコブ。神様のことばは私たちが応答し実行するために語られているから、みことばを行う人になりなさいと。

 「自由をもたらす、完全な律法」とは、イエス・キリストの福音であり、イエス・キリストそのものです。仕えられるためではなく、仕えるために来たと言われたイエス様の生き方であり、行いです。それは、私たちには真の力です。ヤコブは実践の中にこそ、真の祝福があると言う。

 宗教の真のあり方は神様を喜ばせること。相手の必要をよく見て知り、親身になって助ける優しさと、親切な心とわざを用いて福祉的な働きをすることが伺えます。

 また、もう一つは、自分をきよく保つことです。真実な宗教とは、この両方を保つことが必要だと教えています。人のために尽くすことは隣人愛です。そして自分をきよく保つことは、神への愛です。27節で、この世の当たり前になっているような汚れに、染まらないように、自分を守ることを取り上げていることは重要であり、示唆に富んでいます。

 自由をもたらす完全な律法を、イエス・キリストご自身を、一心に見つめてそれから離れない人は、神様の愛のわざを実際に行う人になれるのです。こういう人は、その行いによって祝福されるとの、確かなお約束を頂いているのです。

 私たちは、真理のことばによって救われている者たちなのですから。神様からの大いなる祝福を一身に受けて、明日への希望をもって、主を愛し。一人一人の存在、命を尊び、思いやりをもって隣人を愛し、仕え、主と共に歩んでまいりましょう。

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setachu
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