「柔和な者は幸いです」
2021年1月17日礼拝説教梗概
聖書:マタイの福音書 5章5節
説教:安藤能成主任牧師
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」(マタイ5:5)
主イエスが言われた「柔和な者」の意味は、へりくだった者であり、それも自ら進んで謙遜になっているのではなく、人々から痛めつけられ、頭を押さえられて低くならなければならなかった者のことです。
人間社会では理不尽に思えてもそのような状況に追いつめられることがあります。肉体的にも精神的にもやられることがあるのではないでしょうか。
この柔和な者は相手にやり返すことができない。そして低くならざるを得ない人。ときには自分のせいではなく、ただただ痛めつける者がいて不幸な経験を強いられる人です。そのような人について主イエスは幸いだと言われます。その理由は地を受け継ぐからだと。地を受け継ぐというのは、社会を治めるという意味でもあります。低くされながら、どうして治める者になることができるのでしょうか。その意味は、そのような苦しみ痛みを負わされた人は自分がその経験をしているので他の人痛みがわかります。だから社会にいる多くの痛みや理不尽な経験を強いられている人々のことを理解することができるので人々に優しい政治を行うことができるということです。
当時、政治を司る者たちは人々の苦しみを知って福祉的な政治を行うことがなかったのだろうと思います。ヘロデはローマ帝国の傀儡政権で人々に重税を課していました。人の痛みを知ることも寄り添うこともない者たちが上に立っているのは不幸なことです。
柔和な人としてもっとも素晴らしい人はイエス・キリストご自身でした。主イエスは社会の低いところにいる人たちに近づきました。彼自身が低い者の一人となりました。ピリピ書2章にその姿があります。
人として来られた主イエスは、私たちが罪ある者であるにも関わらず、全能の神の力を振りかざしてさばこうとはされませんでした。むしろ仕える者の姿をもって虐げの中でも忍耐の限りを尽くしてくださったのです。
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