「ひとつの」

2021年11月7日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙4章1~6節

説教:安藤友祥主任牧師

パウロはここで7回「ひとつ」という事を強調します。召し、体、御霊、主、信仰、バプテスマ、父。これらはどれも神様からの働きかけ、神様によって実現された7つ。共同体が一つである基礎や根拠は、人間が生み出すもの、神様によって与えられたもの、神様によって組み込まれるものでなくてはいけません。神様からの働きかけ、恵み、聖霊を共同体の根拠、基礎としていなければ、神様の共同体ではありません。私たちには神様から同じ希望、同じ目的が与えられています。やがて来る終わりの時に、私たちはみんなで神様の前に立ち、みんなでイエス様の似姿に回復し、みんなで主の相続を受け取ると言う希望が与えられています。イエス様からの大宣教命令で、この希望を、福音を全世界に広げるために召されています。一人でも多くの人が、この希望に生かされ、イエス様が勝利されたこの世界の中で、勝利にあずかる者として、イエス様のように生きるようにと、召されています。パウロは4節から6節を通して三位一体の神様を、そしてその三位一体の神様の御業を確認しています。そしてそれが、教会が一つであることの根拠、基盤なのだと確認をしているのです。今日、共に集っている私たちもパウロが語っているこれらを基礎として建て上げられている教会なのだという事を再確認したいのです。手紙を読む時に、痛みや悲しみを持ちつつ、神様を礼拝し、またパウロからの手紙に励まされ、教会に与えられている一致を保つために熱心に祈り、与えられている御霊に信頼して一つの体として歩んできたことに思いをはせます。私たちは神様に召されています。一致の為の聖霊も与えられています。召しに応え、神様の子として生きるための神様の偉大な力も与えられています。不完全なものを神様は選び召し、救ってくださいました。失敗もする、神様が願うように生きることが出来ない、そのような私たちを知った上で、このような私たちの為にイエス様は十字架にかかられ、死んでくださった。それだけでなく、ご自分の体としてくださった、一つとして下さったのです。

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