「バプテスマ」
2021年11月21日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書3章1~20節
説教:住友暁伝道師
いよいよ3章からイエス様の公生涯の歩みに入って行きます。ルカは、イエス様の公生涯の前に、当時混乱していた“キリストはイエスかヨハネか”という考えに終止符を打つかのように、ここでも最初に洗礼者ヨハネのことを語りました。 ヨハネは、メシアを待ち望むイスラエルの人々の間を行き巡り、当時ユダヤ教に改宗する異邦人が受けるべきバプテスマを、悔い改めのしるしとしてイスラエルの人々も受けるようにと勧めていました。それゆえにバプテスマのヨハネと言われていましたが、ルカは彼の働きをイザヤ書の成就であるとしました。そこで言われる“荒野”が示すものは、私たちの心、あるいは私たちの人生そのものと言ってよいでしょう。私たちの人生は、岩だらけで曲がりくねっています。道が上下左右に曲がりくねっていては、先にあるものを見通すことは出来ません。障害物が置かれ、凸凹で曲がりくねった“道”は、救い主メシアが来られても、それを見ることが出来ない私たちの心であったり、人生であったりするのです。私たちの人生は、神様を見るのではなく、自分自身を見てしまう人生です。人と比べて、自分自身は優っているのか、負けているのか。そんな私たちの、心の自己憐憫の谷を埋め、プライドの丘や、誇りの山を崩して、神様と直線的につながる必要があるのです。しかし、罪ある私たちの心や人生はすぐに凸凹の悪路になってしまいます。ヨハネは、悔い改めを説きましたが、悔い改める行為だけでは、罪が取り除かれ、神の前に赦されることは出来ません。それは、ヨハネの後に来られるイエス・キリストによってなされました。 私たちは、ヨハネのバプテスマではなく、イエス・キリストの名による聖霊のバプテスマを受け、私たちを神の国の民として下さいました。私たちは、受洗の誓約を忘れることなく、日々祈り、悔い改め、聖霊によって罪赦され、罪なき者と日々新たにされて、神の国の中に歩み続けようではありませんか。
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