「荒野の戦い」
2022年1月16日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書4章1~13節
説教:住友曉伝道師
聖霊なる神によって荒野に導かれたイエス様は、サタンの悪意のある誘惑を神の試練として克服されました。サタンの第一の試みは、「あなたが神の子なら,この石に、パンになるように命じなさい」でした。生活における必要を誤った方法で満たしたらどうかというこの誘惑にイエス様は「人はパンだけで生きるのではない」との御言葉(申命記8:3)を用いてこれを拒否しました。この誘惑は、生活上の必要を圧倒的に他のものより優先する価値観の中に生きる私たちへの大きなチャレンジです。しかしイエス様は、「神への信頼と服従を全てに優先させよ」という神の戒めをもってその誘惑を打ち砕きました。第二の試みは、イエス様に世界の全ての国々を見せ、「その統治権力と栄誉・栄光をあげるから、自分にひれ伏せ」というものでした。即ち、財力や高い地位・役職、事業の成功や名誉、人々の称賛を手段を選ばず得ようとする誘惑です。それはまさに悪魔に魂を売る安易な方法、この世の権力に妥協することでした。しかし、イエス様が目指した道はこの世的な栄光の道ではなく、謙遜の道であり、王冠ではなく十字架への道でした。イエス様は、ここでも「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と御言葉(申命記6:13)を用いて地上の権力への妥協を拒否されました。第三の試みは、「あなたが神の子なら、エルサレム神殿の屋根の端から身を投げてみろ」でした。二度御言葉でイエス様に敗北させられたサタンは、今度は自分も旧約聖書の詩篇91篇の御言葉を持ち出しました。しかしサタンはその詩篇から「あなたのすべての道で」という一文を抜き、解釈を歪曲させて用いました。御言葉を前後の文脈にお構いなく、都合の良い処だけ取り出して用いることはサタンの業です。私たちも日常、御言葉を受け取る際にそのような誘惑に注意しなくてはなりません。困難の中で神の臨在と愛の力を疑い、証拠としての奇蹟を求めるというこのサタンの誘惑に対し、ここでもイエス様が用いたのは、「あなたの神である主を試してはならない」との御言葉(申命記6:16)でした。イエス様は、完全な人間イエスとしてサタンの誘惑に対抗しました。サタンの誘惑に耳を貸さず、私たちが用いることの出来る身近な聖書の言葉、人々の暮らしの戒めが書かれた申命記の言葉をもってサタンを撃退され、勝利されたのです。イエス様から「しばらくの間離れた」サタンは、現代も常に、神に背くという根源的な罪へ私たちを導こうと誘惑の機会を狙っています。イエス様は「闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ」(使徒26:18)るお方です。そして、神の深い愛ゆえに、私たちの罪の贖いのために十字架に架かり、葬られ、復活され、罪と死を打ち砕かれました。今やイエス様は、キリスト・イエスを信じる私たちと共におられて共に戦って下さいます。神とのコンタクトは祈りです。そしてサタンの誘惑を撃退する武器は「御霊の剣」(エペソ6:17)である御言葉です。今年も御言葉に信頼し、御言葉に生きる信仰の旅路を歩む者とされたいと願わされます。
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