「いのちである方」
2022年7月10日主日礼拝説教梗概
聖書:ヨハネの福音書1章1~5節
説教:安藤友祥主任牧師
ヨハネの福音書は、イエス様について、この方にはいのちがあったと宣言し始まります。「いのちである方」命そのものである方であると。
私達は命を持って生きています。その命も自分で獲得したのではなく、与えられ、その命で生きています。私達に命を与えられたのは創造主である神様であり、誰一人漏れることなく、神様から命をいただき、この世界に生まれてきました。神様によらずに命を受けている者はいません。
創造のはじめに神様との関係に歪も破壊も無く、死はありませんでした。死は神様に敵対する者として、この世界、後からやって来たものです。命であり、命を与える神様が、その命に反する死と敵対するのは当然の事といえます。
神様は十戒においてはっきりと「殺してはならない」と命令されている神様です。いかなる理由があろうとも、人を殺してはいけない。殺す時に罰則を神様は定めています。
神様は私たちに「神のかたち」が与えられている者として、神のかたち同士の、命の尊厳について教えている事に気が付きます。いのちを尊び、存在を尊ぶ。殺してはならないとは、相手の命と同時に存在や、尊厳に対する教えと言えます。
今回のような出来事が起こる時に、やり場のない怒りや悲しみをぶつける方向、場所を探したくなってしまう人もいるかもしれません。怒りの感情などに支配されると、カインのように、私達も罪に絡めとられてしまうのです。私達は、自分自身にも目を向け、自分に与えられている命、また神のかたちとしての尊厳を守る必要もあります。
今一度、心静まり、神様の前に祈りをささげましょう。悲しみ、不安、痛みのある方の上に、神様の慰めと支え、愛と励ましがあるように。私達を含め、一人一人の命の尊厳、神のかたちとしての尊厳が守られるように。
イエス様は人の光です。暗闇に見える世界、状況に目が奪われそうになりますが、光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかったと。私達の光は、私達が目を奪われてしまう闇の中に、すでに輝いています。私達はこの光を知っています。光を知るものとして、今日もその光の内に、歩んでいくのです。
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