「唯一絶対の規範として」

2022年7月3日主日礼拝説教梗概

聖書:テモテへの手紙第二3章15~17節

説教:安藤友祥主任牧師

『1.旧、新約聖書66巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神のことばであって、神の救いのご計画の全体を啓示し、救い主イエス・キリストを顕し、救いの道を教える信仰と生活の唯一絶対の規範である。』
 パウロがここで伝えようとしている事。それは、聖書は神様の権威が与えられ、神様が原作者だということ。神様が私達に与えて下さっているという事です。私達が告白している「霊感」の働きとは、聖霊が一人一人の聖書記者に働かれ、神様がご自身を現されたこと、神様の事、神様の計画の事、救いの事、一つ一つを人間の言葉で表し、文字として残させた働きです。
 そして信仰告白にあるように、聖書は、神様の救いの計画の全体、イエス様を指し示す事、救いの道を私達に誤りなく伝える神のことばなのです。もし、聖書に誤りがあるとするならば、私達は自分の救いについてなんの希望も持つことは出来ません。聖書が誤りのない神様のことばである、神様が私達に与えて下さっていることばであると信じることは、今日、今ここで生きている私たちが、神様に信頼し、生きることが出来る確信の土台になるのです。
 聖書はイエス様を指し示しています。そしてその聖書を信仰と生活の唯一絶対の規範とする私達は、イエス様のように生きるという事を、自分の生き方の規範とするということです。イエス様を通して、神様は全ての事を啓示されました。
 神様が私達に聖書を与えられたのは、聖書を通して、私達が神様を知り、イエス様を知り、イエス様を信じて救われる為である。命を得る為であると。そしてその与えられた命を通して神様の前にふさわしく生きていくためです。その命を用いた生き方の信仰と生活の唯一絶対の規範としても、神様は私たちに聖書を与えて下さっています。
 聖書が教えるもの、私達に与えるものは、イエス・キリストであり、救いの道であり、新しい命です。私たちは与えられた新しい命で、日々を生きています。日曜日とそれ以外では命が違うという事はあり得ません。聖書が教える命は、日曜日のみの命ではなく、今この時、ここで、この世界でも生きる命なのです。

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