「キリストとは何か?」
2022年10月2日主日礼拝説教梗概
コリント人への手紙第一 15章3~6節
説教:安藤友祥主任牧師
「主イエス・キリストは、父なる神のひとり子であって、聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれたまことの神にしてまことの人である。主は我らに代わって十字架にかかり、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者の中からよみがえり、我らのために贖いを成し遂げ、我らに永遠のいのちを与えた。主は2天に昇り、父なる神の右の座に着き、大祭司として今も我らのために執り成している。」
キリスト論とも言える信仰告白。では「キリスト」とはいったい何であるのか?「キリスト」直訳すると「注がれた者」という意味を持ちます。イスラエルにおいて特定の働きにつくときに油が注がれました。その働きとは、預言者、祭司、王の三つです。神様の代弁者である預言者。民を代表し神様の前で民をとりなし、和解の務めをする祭司。民を導く王。これら3つの働きは、神様によって与えられ、立てられる働きと言えます。イエス様はこの3つの働きを完全に成し遂げられた唯一の方です。そして、この3つの働きを通して、ご自身のみわざを成し遂げられました。
預言者としてのイエス様。預言者の働きは神様の代弁者です。神様は預言者を通して、ご自身がどのような神様であるのかを示されました。イエス様は神様ゆえに、イエス様を通して、私達は神様に関する真の知識を得ます。
祭司としてのイエス様。祭司は民衆を代表して神様の前に立ち、民衆の罪の問題、儀式、和解に関する事柄、神様と民衆の間を取り持つ、とりなし手としての働きが委ねられています。イエス様は罪のない完全な祭司、また完全な生贄として来られました。
王としてのイエス様。本来ならばこの世界を創造された神様を王として従う。けれども堕落ゆえに、神様ではない何かに従いたくなる誘惑。従わせたい誘惑を持つようになりました。そのような世界に来てくださったのが正しい本来の王であるイエス様です。人に仕えられる事を求める王ではなく、仕えるために、むしろ犠牲になるためにやって来たのが本当の王であるとイエス様は示されました。
イエス様は本来の人間、そしてキリストの姿も実現してくださいました。罪の問題を明らかにし、その解決のために来てくださいました。その目的は、私達の救いを成し遂げ、本来の生き方に回復するため、私達が神様の栄光を現すためです。
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