「みことばの成就」
2023年4月23日主日礼拝説教梗概
ルカの福音書 24章36~53節
説教:安藤友祥主任牧師
エルサレムにいた弟子たちが集まってイエス様のことを話している真っただ中に、イエス様が突如現れました。けれども彼らは喜ぶのではなく、おびえて震え上がる。イエス様の復活を疑います。イエス様はそんな弟子たちに復活を信じることが出来るようにと働きかけられます。見て触りなさいと伝え、また焼き魚を食べて見せます。それだけではなく、44節では聖書的な根拠を弟子たちに示されます。そして弟子たちの心を開かれます。彼らが御言葉を悟るために。
そして十字架とよみがえりと同時に、聖書が預言していたこと。イエス様の名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられるということがイエス様から伝えられます。この「あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」という言葉、ユダヤ人が体験している「神様にとっての特別」を自分たちだけではなく、異邦人たちにもという言葉。それが聖書に書かれている、神様が望まれているという事です。イエス様の最後の言葉は、弟子たちへのチャレンジとも言える言葉でした。そしてその祝福を広げる働き人として、弟子たちは選ばれていました。イエス様は約束されます。そのために必要な天からの力が与えられると。
弟子たちは自分たちだけの祝福にしたかったではなく、イエス様からの祝福を受けつつ、喜びをもって、イエス様をほめたたえたのです。イエス様の、神様の祝福が広がることを、神様が望まれていると信仰をもって受け取り、それを喜ぶことが出来たのです。イエス様が彼らに働きかけ、心を開いてくださった。それが大きな分岐点でした。彼らは聖書から、神様の思いを知り、そしてその神様への奉仕へと突き動かされていくのです。
イエス様は「罪の赦しを得させる悔い改めが宣べ伝えられる」と言われました。私たちが持つ根本的な罪は、神様を礼拝せずに、他のものを礼拝してしまう事。神様は礼拝すべき方ですが、悪魔も自分への礼拝を求めていると言えます。礼拝すべきは神様か?悪魔か?この大きな問いを投げかけているのがルカの福音書です。イエス様が神様であり、礼拝すべき方であるという力強いメッセージがここにあります。弟子たちが宣べ伝えるのは、この神様以外を礼拝する生き方、悪魔礼拝していた生き方への悔い改めと赦しです。そして、神様を礼拝する生き方は喜びがあるとの招きです。
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